November 27, 2011

現実はひとつじゃない。

ニュースドキュメンタリーを撮影するフリーランスの人を表彰するRory Peck賞というのがありましてですね。

「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home

2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。

で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。

その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。

AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。

一方で。


このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。

どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。

その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。


ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。

しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。

要は、現実は複数あるのです。


家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。

*   *   *

しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。


November 12, 2011

地に足の着いた記事。

当地のネット環境はすこぶる悪くて、完全にダウンしてしまうこともあれば、つながってもやたらに遅かったり、開けないページが続出したりしてます。それでも、やっぱりネットがつながらないと今どきお話にならないので、オタオタするネット接続に膨大な時間を無駄にしながら、なんとかしのいでいる状況です。

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それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。

たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。

大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。

ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。

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私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。

そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。

ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。

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で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。




October 23, 2011

「職業に貴賤はない」の例外。


職業に貴賤はないという。名目はそうじゃないとただでさえつらい仕事で心が折れそうな人がくさっちゃうので、そう言わざるを得ないと思う。でも、尊い職業っていうのはあると思うんですよね。ひとつだけ例外的に尊い職業。

以下は、私の個人的な信条であって、正しいとか間違いとかいう話じゃないですので、気に入らない人は適当に無視してくれればと。

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高校生の頃からぼんやり考えているんですけど、この世で一番尊い、貴賤でいえば「貴」の方の職業は科学者だと思うのです。それも応用科学じゃなくて、純粋科学、ハードサイエンスに携わる人々。

人間って、他の動物と違う頭脳という器官を持つ種として発生して以来、ずっと「我々は何者?」「この世界って何?」っていう究極の疑問を抱き続けてきたわけで、科学者っていうのは、その疑問に真っ正面から望んでいる人たちでしょう? 人とは何か、人類とは何か、生命とは何か、世界とは何か、という本質的な疑問に挑み続けてる。

社会っていうのは、私に言わせれば、そんな科学の営みを支えるためにあると言ってもいいくらいです。世界の優秀な才能と、少なくない資金を投入して人類の究極の疑問に望むためには、豊かで安定した社会が必要です。究極の疑問に臨む、選ばれた人々の尊い営みを支えるために、あらゆる社会の営みが必要とされている、そういうことなんじゃないかと。

こんな話をしていると、触れざるを得ない話題は宗教の話だと思いますが、私は、宗教は、科学が究極の問いに挑戦し続けている間、普通の人々が心穏やかに秩序ある社会生活を送るための仕組みじゃないかと思うのです。

星空を眺めたり、人の死に接したり、普通に社会生活を送っていても「我々は何者?」「この世界って何?」っていう疑問はときどき頭をもたげてくる。そして解けない疑問に心が乱されることもある。宗教はそんなときに、心の平安を得るための仕組みじゃないか? 宗教には社会倫理や、芸術、文学などを生み出す力もあるけれど、根っこのところは、答えのない理不尽な世界に生きて行く人々の、揺れる気持ちを抑えるのがその機能なんじゃない?

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「科学 宗教」というキーワードでAmazonで検索したら和書だけでも1800冊以上ある。ここで私がちらっと書いてどうこうっていうレベルの話じゃないのは分かってる。

ただ、純粋科学のプロジェクトには可能な限り予算を割き、そこに世界で最も優れた才能の人々に従事してもらうのは人類の人類としてのライフワークであり、その最先端を行く科学者は「貴」の仕事をしている人々と看做してもいいだろうと思うのです。

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そんな私は、10年以上も前ですが、物理学研究科で原子核物理を修了。でも、それ以上の研究生活を送るだけの才能が自分にはないことをそのとき自覚しましたよ。で、今、純粋科学とはおよそ関係のない仕事をしています。しかし、みんなが社会に参加してそれぞれの才能で社会をもっと豊かにしていくべき、そしてその中でも特別に才能に恵まれた人は純粋科学の世界に挑戦してほしい、そんなことを考えながら、明日も仕事に出かけるのです。

October 11, 2011

ヨハネスバーグ空港の話。

南アフリカの空の玄関口、ヨハネスバーグのO.R.Tambo国際空港。評判良くないです。南アフリカ自体が治安の悪いことで有名なので(といって、全土にわたって旅行者が外出できないほど荒れている、というわけではないんですけどね)、さもありなんという話ではあるんですが、とにかくヨハネスバーグ空港の良くないウワサ、聞いただけで本当かどうか分かんない話も多いですけど、とりあえず書いてみますよ。

まず、預け入れ荷物が紛失する、中身が盗られる件。空港職員がグルらしく、X線検査装置を使って金目の物が入っているスーツケースを特定しピンポイントで盗むという話です。私もやられましたよ。スーツケースを開けられて、お土産用の腕時計(安いヤツですけど)だけを抜かれました。腕時計の箱は残っていたのがまた腹が立つ。

空港職員がグル、というレベルではなく、シンジケートがあるとの話もあります。ビジネスとして一定の割合でスーツケースを盗っているのだとか。疑いのある空港職員を解雇しても、新規に雇用される職員がシンジケートにつながっているので改善しないらしい。

一度、イギリス系のコンサルト会社に空港での荷物のハンドリングの改善業務を委託したけれど、そのコンサル会社は途中で業務を降りたというウワサも聞きました。その理由は「命が危ないので。」だったそうです。

それで、乗客側の対抗策として、預け入れるスーツケースをプラスチックフィルムでぐるぐる巻きにすることが始められました。フィルムでぐるぐる巻きにすればスーツケースを開けにくくなる、開けようという気を失せさせるということで効果的なようです。が、あるときヨハネスバーグ空港を利用したら、前回までなかったフィルムぐるぐる巻き屋さんが空港内にたくさんできていてびっくりしましたよ。荷物の盗難、紛失に抜本的対策が打てていない中、とりあえずフィルムぐるぐる巻きサービスでお金を稼ごうというその魂胆がまた腹立たしい。。。

私の場合、ヨハネスバーグ空港を経由してジンバブエのハラレの空港で荷物を取り出す時に荷物が出てこず、出てきた時にはスーツケースに開けらた痕跡があって、そこで荷物のクレームをしたんですが、ハラレの空港の人が言うには、「荷物のことでクレームがつくのはほとんどヨハネスバーグからのフライトばっかり。ナイロビやアディスアベバからくるフライトではそんなにクレームない。」とのこと。やれやれです。


ヨハネスバーグ空港に着いたある乗客が、宿泊するホテルへの行き方を空港職員に聞いたら、その職員が悪党とつながっていて、行き先のホテルで待ち伏せされたという事件もあったと聞きましたねぇ。


それから、犯罪ではないんですけど、ヨハネスバーグ空港では自分のフライトのチェックインカウンターがどこか、非常に分かりにくいんです。電光表示板では2時間先くらいまでのフライトについてしかチェックインカウンターの番号が表示されておらず、それも表示板ごとに表示内容が違う。国際、地域、国内でなんとなく分けられているようにも見えるけど、徹底していない感じ。それで、広い空港をウロウロ探しまわることになるんですが、乗り継ぎ時間に余裕がない時はかなり焦ります。ときどき、空港職員やポーター風の人が教えてくれるんですが、言っていることが間違っていたり、教えたんだから金払えとすごまれたり。空港職員ではなくお目当ての航空会社の人に聞くのがいいんですけど、なかなか見つからなかったり、質問するにも長い列に並べと言われたりするし。はぁ。

それからそれから、空港自体の停電という経験もしましたよ。航空管制、チェックインくらいは予備電源でなんとか動かしたようでしたが、他は真っ暗。お店もキャッシャーは開かなくなるし決済もできなくなるしで、麻痺。私の乗った飛行機も2時間位くらい遅れて、しかも機長が「停電の影響で預け入れ荷物の仕分けができていません。当機にもお客様全員分の荷物が載っていないのは承知していますが、これ以上出発を遅らせることができませんので、離陸します。」とか言う。案の定、到着地で荷物は出てきませんでした。

しかしまあ、空の表玄関がこの調子で、よくワールドカップ(2010年)が開催できたものだと、違う意味で感心します。たぶんワールドカップの時は、国を挙げて治安維持と交通機関の秩序維持にがんばったんでしょうねぇ。

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私自身は、15回くらいヨハネスバーグ空港を使っているはずですが、上記のように腕時計を抜かれたのが1回、空港の停電のせいで荷物が遅れたのが1回、普通に荷物が出てこなかった(2、3日後に出てきた)のが1回。百回は使っているはずの日本の国内線で荷物が出てこなかった記憶はないので、やっぱりトラブルの確率は高いですね。

これから南アフリカに行こうという人を脅かそうとかそういう気はないですし、すてきな観光地もたくさんある国です。それに、なんといってもヨハネスバーグ空港は南部アフリカのハブ空港です。上記の話も私が聞いた話ということで、ウワサの域は出ないです。しかし、何かと面倒の多い空港なのも確からしいので、利用される方は十分にお気をつけて、乗り継ぎの場合には十分に時間の余裕を持ってお出かけくださいませ。

October 09, 2011

ディズニーランドは夢の国。


消費者の王国、日本は素晴らしい。手に取る商品はどれもきれいで完璧だし、サービスは快適だし、単純に素晴らしいと思う。その「行き届き」の水準は世界中どこにもないもので、すてきです。日本に帰るたびに、日本は素晴らしいとつぶやき、日本人でよかったと感謝しますよ。

*   *   *

だたね、その消費者の王国はみんなで作った王国であって、王国の王様気分を味わう人と、王国の僕(しもべ)は同じ人なんだよね。

ディズニーランドとは違う。あそこは、お客様が王様気分を味わい、ディズニーランドの従業員があなたに尽くしてくれる。でも、なんだか、消費者の王国とディズニーランドを混同している人がたくさんいる気がするんです。

すべての製品、すべてのサービスが、誰かによって完璧なものとして提供されているべき、国が、役所が、企業が、誰かが完璧なしっかり仕組みを動かしているべき。マスコミもそれに乗っかって、もっと国がしっかりしてなくてはいけない、もっと企業は責任を持たなければならないと書き立てます。そしていろんな不都合や理不尽を国の、役所の、企業の、自分じゃない誰かのせいにする。

それじゃもう、回らない時代になっていると思わない?王国は広がりすぎて、以前のようにすべてをお金で解決することはもうかなわないし、王国の進歩も早くて、誰かが「しっかりとした仕組み」を作るのをいちいち待ってはいられないし。

すっきりした結論があるわけじゃないけど、王国のお客様気分で生活し続けるのは無責任だし、それはまた今の時代を生き延びるにはリスクでもあるんじゃない? 僕らは王国の王様であって、同時に僕(しもべ)。ディズニーランドのお客様とは違うんだよね。

だからディズニーランドは、現実ではない、という意味でも「夢の国」なわけでさ。

October 02, 2011

サファリの宿。


ジンバブエで観光客が来るといえば世界三大瀑布のひとつ、ヴィクトリア・フォールズ。しかし、ジンバブエという国の評判が世界的にはすこぶる悪いので(2009年2月までで終わったハイパーインフレの話がまだ語られてるし)、観光旅行は南アフリカからヴィクトリア・フォールズに直接飛行機で入って、また飛行機で帰ってくるというパターンが多いようです。

しかし、ヴィクトリア・フォールズを含めてジンバブエには5か所のユネスコ世界遺産があって、先日はそのひとつ、マナ・プールズ国立公園に行ってきました。ザンビアとの国境、ザンベジ川沿いの動物保護区です。タンザニアのセレンゲティなんかに比べたら動物の密度は低いようでしたけど、それでもゾウやカバやバッファローの類は見飽きるほどいます。そして豊富な水量があるザンベジ川の水辺というのがきらきらした景色でよかったですよ。





ジンバブエの首都ハラレから車で6、7時間、ヴィクトリア・フォールズからも同じ位かかると思われ、しかも4WDじゃないとアクセスできないし、雨期になる11月〜3月は4WDでもアクセス不能になるので多くのロッジが閉鎖するし・・・、ということで気軽に行くことはできないですけど、その分、行けたらスペシャル感が倍増。

私が泊まったのは、ザンベジ川からはちょっと離れた森の中にあるロッジ。けもの道を自動車が通れるように広げただけの悪路を、「○○km北に進んだら左に折れてさらに西へ△△km・・・」みたいな地図とGPSを頼りに進むのですが、本当にこの先にロッジなんかあるのか?と不安になるばかりの道のりでした。後続車も対向車もなく、日本だとラリー大会にでも出場しない限りはまず必要とされることはない運転テクニックが要求される森の中の細い悪路を進むと、一番上の写真のようなロッジのレセプションが現れてほっとした、という次第でございます。

マナ・プールズの「マナ」は現地語で「4」という意味で、乾期には川の周辺の湿地が4つの池を残して干上がってしまうことから「4つの池」ということでマナ・プールズと呼ぶらしいのですが、そのロッジでは乾期には干上がる窪地にポンプで少し水を汲み上げ、その周りに宿泊用のテントを組んでいました。テントといっても、ウッドデッキの上に張った大型のもので、中には清潔なキングサイズ・ベッドにサファリっぽいテイストの調度。半屋外に作られたトイレは水洗で、シャワーもたっぷり温水が出るし、デザインは現地の自然素材を活かしたアフリカ風。どうしてこんな辺鄙な森の中にこんなもの用意できたんだろう?って不思議なくらいの贅沢さでしたよ。

で、ポンプで窪地に水を上げてるので、そこに動物が寄ってくるわけです。レセプション&ダイニングのエリアではソファーに座って冷えた南ア産白ワインを飲みながら、野生動物を眺められるという趣向。昼はゾウ、シカやサルの類ですが、夜になれば、ディナーを楽しみながらレパード、ライオン、ヤマアラシ、アナグマ、バッファローなどがやってくるのが見られました。


そのロッジで一晩に受け入れるゲストは12人が最大。私たちがそのロッジに泊まった最初の日本人客だとオーナー夫婦が言ってました。(ちなみにオーナー夫婦は元農場主の白人ジンバブエ人。ムガベ大統領統治下で行われた「土地改革」で農地をムガベ大統領与党支持の黒人に強奪されてしまったので、ロッジの経営を始めたそうです。)

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実は日本国内の旅行経験はあんまりないんですけど、でも、日本国内にこういう土地の特色を活かした宿って少ないような気がするんですよね。観光地のホテル、旅館、民宿って、どこも同じような雰囲気でつまんない。料理もその土地で出す必然性のないマグロ刺身とかが出てくるし。少々アクセスが悪いところでもいいから、その土地の特色を活かして、ホスピタリティに溢れて、かつ外国人でも快適に泊まれるようにして、でもただ高級感だけを打ち出すのではなく一泊二食で2万円か3万円くらいで泊まれる、そんなのがもっと普及すればいいと思うんですがねぇ。そういうリトリートっていうかリゾートの文化が日本でも広がればいいと思うよ。

ん?、でも、これって、要は星のやの星野リゾートが打ち出して成功させてるコンセプトですね。既に気付いている人は気付いていらっしゃる。今どきネットで宿を探して予約するのが当たり前になってるし、ちゃんと情報をネットに載せておけば、外国からでも探し出してやってきてくれるお客さんはいるでしょう。マナ・プールズのロッジも、欧米からネットで予約してやってくる人が主なお客さんみたいだったし。

そういえば、数年前に京都を一人旅したとき、どう調べても宿がつまんないので、寺がやってる宿坊を訪ねて泊まったことを思い出した。で、それが本業でやってるはずのホテルや旅館よりずっと素敵な体験で、もうちょっと本業の方々にがんばっていただきたいと思ったわけです。

*   *   *

マナ・プールズの素敵なロッジは隠れ家っぽくて、みんなに知られてしまうのはちょっと惜しい気もするので、あえて名前は書かずに残しておきます。本気で行ってみようと思う人は、ネットで探してみてくださいな。


September 27, 2011

タイに行ってました。



ナイロビからアフリカを飛び出し、タイへ弾丸旅行してきました。
バンコクとその郊外で滞在60時間位。 

なんでなんでしょうね、アジアの町があんなに心地良いのは。アフリカでもそれなりに発展している町はあるんですが、バンコクのように、香港のように、シンガポールのように、東京のようには心地良くない。 もちろん私が日本人であって、アジアで育ってきたから、馴染みのある雰囲気が心地いいっていうのもあるんですけど、それだけではないと思うのです。 

アジアの町が素敵な理由はいろいろ挙げられそうですが、私が指摘したいのは2点。 

ひとつは「多様であること」。
そこにいる人も多様であれば、食べ物も多様。買い物するにしても選択肢が多い。何か手に入れようと思えば、高いもの、安いもの、かわいいもの、洒落たもの、といろんな種類がある。 摩天楼の大都会に、裏通りの庶民的な通りも隣接している。近代的なもの、雑多なもの、猥雑なもの、きれいなもの、いろんなものがある。その多様さが、アフリカにはない気がする。少なくとも今住んでいる町にはないし、以前住んだことがある中東の某都市にもなかった気がする。 

ノーベル賞経済学受賞者のアマルティア・セン博士は、「豊かさとは選択肢が多い事である」と喝破してますが、まさにそうだなぁと、思うのです。 

そしてもうひとつは「safeであること」。
日本語で言えば、治安が良い、安全である、ということなのですが、ただそれだけで片付けてしまえるレベルではなくて、気を張る必要がない、簡単にいえば「ゆるさ」がある。これは欧州の町にもない感覚だと思う。なんか食べながらそぞろ歩いてても問題ない町がある。外ですわってビール飲んでてもいい場所が広がっている。もちろん、犯罪はあるし、気をつけなくてはいけないところもあるんだけど、アフリカとはそのレベルが違う。その気楽さ、safetyが心地いい。

 と、ぐだぐだ言ってますが、バンコク最高、でした。

September 04, 2011

「絶対安全」の空気と戦う。

以前、生きている以上各種のリスクは不可避なんだし、リスクと賢く付き合って行くしかないんだよ、っていう記事を書いたんですが(「絶対に」安全、なんてないのさ。)、相変わらずゼロ・リスクを求めるヒステリックな声が席巻している件。

なんて書くと、「安全厨」だのなんだのって批判を受けそうなのですが、幸い私のブログは読者が少ないのでまあいい。それでも、上記の記事は@sasakitoshinao氏にリツイートされたり、ガジェット通信経由でそこここに転載されたりしたので、それなりに読んだ人の反応を見ることがありました。意外と私の記事に賛意を示してくれる人が多くて安堵したんですが、やはり5件か10件にひとつくらい、ゼロ・リスクの主張に通じる議論にならない議論をふっかけるコメントもありましたよ。

さてそれで。

この「絶対安全」を求める空気なんですけど、「合理的に考えよう」「リスクと賢く付き合おう」と述べただけの人を「でも、危険性はゼロではないんですよね?それを認めるのは無責任じゃないですか?」「子どもたちの内部被曝を認めるんですか?ひどいですね。」というような言説で押しつぶそうとしているように感じます。正直、この空気が怖いです。マスコミはどちらかというとこの空気に乗っかった報道をするところが多いみたいですし(私が海外に住んでるので実態はよく分からないですけど、そう思われるような話はよく聞く)、今、政府や自治体や東京電力が「リスクと賢く付き合おう」とか言うと猛反発を受けそうな気もする。政治家が会見の時に使う異常にへりくだった敬語の表現なんか聞いてると特にそう思う。しかし、そうやってゼロ・リスク主義者に迎合していると、何にもできないばかりか、危うい方向にいっちゃう恐れだってあるなと思うのです。

*   *   *

第二次世界大戦の総括について「暴走した愚かな軍部が突っ走って起こしたもの。一般国民がそれに動員されてあの悲劇になった。」という単純な物語が作られ、東京裁判という劇場で「愚かな軍部」を罰して責任を押し付け、とりあえず人々は気持ちの折り合いをつけて戦後日本は出発したという側面があると思います。でも、本当はそうじゃなかっただろうと思うんですよ。戦争を経験していない私が言うのもアレですけど、きっと国民の間にも戦争を進める「空気」があったに違いない。そして「竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえませんよね?」「精神論には限界がきてますよね?」という意見を封じ込めてしまったんだろうと思うのです。きっとそういう合理的な考えを持つ人もいた。おかしいと感じている人もいた。でも、「ほしがりません勝つまでは」っていう国防婦人会のノリに抗しきれなかったんだと思う。

なぜいきなりこういう話を書いているのかというと、ちょっと大げさかもしれないけど、今、ゼロ・リスク、特に放射線被曝に対してゼロ・リスクを訴えまくってる人たちの醸し出す空気って、この国防婦人会的な空気に似たものがあるような気がするんです。どちらも基本は善意から始まっているところも似てる。正義感にかられているところも似てる。そして、反論すれば「非国民」のラベルを貼られる恐怖がある。私が今の「絶対安全」を求める空気が怖いと感じるのも、この「非国民」のラベルを貼られる可能性を感じているからなんですよ、きっと。

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正直、今書いているこの記事をネット上に公開するのもちょっと気が引けるところがあるのは本音です。やっぱりネット上でも叩かれるのは凹むから。自分がかわいいから。でも、後になって「あのとき、竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえないと思っていたんですよ」と言っても虚しいだけのなで、今のうちに、「おかしいと思う」という意見表明だけはしておこうと思います。

特に放射性物質の生物濃縮が危惧される野生のキノコを食べるとか、福島第一原発に近く統計上有意なレベルで放射線被曝による障害が出るところに住むとか、そういうことはもちろん避けなければいけません。でも、「ただちに影響はない」レベル、影響があるかどうか分からないようなレベルで大騒ぎし「ゼロ」を求めることはやはりおかしい。それでは身動きが取れなくなるばかりか、誤った方向に進んでしまう危険だってある。見えない放射性物質を穢れ(けがれ)のように忌避するだけじゃ何にもならないと思うのです。

August 28, 2011

「社会が悪い」か「自己責任」か。

非正規雇用が増えたり、幼児虐待事件が起きたり、あるいは無差別傷害殺人事件が発生したりすると、テレビに出てくるコメンテーターとかいう識者然とした人たちが、「国が悪い、社会が悪い」という話をしたり顔でおっしゃる。他方でネット上のコメントを見てると、当事者を嗤い、嘲り、「自己責任」だと叩く声が溢れてる。

どちらの両極端にも違和感があるんですよね。

世界や社会、政治経済のトレンドは最終的には個々人が生活、人生を生きていく上での出来事に織り込まれて表出するわけで、たいていの場合、自分自身に起きた事件は、自己の事件であり社会の事件であるという両義性を持っているのだと思うんです。

非正規雇用だの雇い止めだので先行きが見えない、という声に対しては、「正社員になればいいいだろう」「お前の努力、能力が足りないからだ」というありきたりな批判では済まないことはもう、共通の理解だと思います。社会、政治経済が非正規雇用を要請し、すでに労働者の3分の1なんていう数が非正規雇用になってる。だれが正社員でだれが非正規雇用になり、だれが自営業者でだれが資本家になるか、というのは個人の資質や努力、住んでいるところ、育った家庭環境などに影響され、非正規雇用に甘んじているのは自己責任だと言える部分もありますが、他方、社会が非正規雇用という形態を要請し、労働者の一定の割合が非正規雇用を選ぶように仕向けられているというのもまたそのとおりで、「私が非正規雇用である」というのは私の事件であり、社会の事件です。

幼児虐待事件のニュースを見ると、ホントに凹むし、虐待した親は獣以下だと憤りを覚えます。マスコミもそういう風に扇情的に報じる。しかし、虐待した親を罵り厳罰で対処する、すなわちその親の「自己責任」で片付けてしまうだけよいのかという疑問も残ります。その虐待が起きた家庭の置かれた状況はどのようなものだったのか。救いがなく助けを求めることもできない状況、暴走を止めることもできなかった状況とはどういうものだったのか。そういう状況を生んでしまった社会環境とはどうだったのか。「たとえどんなに厳しい状況であったとしても、子どもをあんな風に虐待することはあり得ない。」そう考える人も多いでしょうし、私もそのひとりですが、中には、それが稀だとはいえ、ある社会状況の下では幼児虐待事件に至ってしまう家庭もあるわけです。非正規雇用のように労働者の3分の1とかいう高い確率ではないにしても、わずかな確率ながら起きてしまう。幼児虐待事件を呼び込むのはその親の資質や経済状況など「自己責任」の部分も大きいとはいえ、社会の事件であることも否定できないと思うのです。

「なんとなくむしゃくしゃして」「やり場のない怒りで」引き起こされる無差別殺傷事件は、幼児虐待事件以上に発生件数が少ない事件だし、その動機と行為を正当化するのは難しい。同情の余地も少ない。でも、その犯人の性格や資質だけに発生原因のすべてが還元できるかというと、そうではないと感じる人も多いのではないでしょうか。だからといって社会が悪い、国が悪いと一足飛びには行かないけどね。大方の人はそんな事件は一生起こさないし、起こそうとも思わないわけですし。しかし、陳腐な言い方をすれば、社会の歪みが一番弱いところで破断する、という側面があるのも確かだろうと思うのです。「一番弱いところ」になったのは自己の責任だし、「破断する」のも自己の責任でしょうが、社会の緊張がその犯人のところにも蓄積してたのは事実でしょう。

幼児虐待とか無差別殺傷とかは感情が入りすぎるので、たとえば交通事故について考えてみる。
交通事故に遭うのは大方自己責任だと言われてしまう。たしかに、前方不注意だの脇見運転だのっていう自分の心がけ次第で防げる事故も多いと思う。でも、年に5,000人くらい交通事故死しているのは日本が車に依存した社会であるからだ、とも言えるのではないかと。そして、現に交通ルールを改定したり、警察が取り締まりを強化したり、飲酒運転撲滅の機運が盛り上がったりしたことで、交通事故死は減ったんです。つまり、国、社会の側が対応した事で交通事故死は減った。個別の交通事故は自己責任ではあるんだけど、一歩引いて統計的に見てみると、交通事故は社会的事件でもあるという証左ですよね。今の日本社会は、事故を起こしやすい人(と、運の悪い人)5,000人が交通事故で命を落とす「社会」。その5,000人に入るか入らないかの違いは自己責任に還元される部分も多いけど、そもそも車「社会」が原因である面も否定できない。

と、だらだら書いてますが、特にこの状況に対して処方箋を思いついたわけではないです。ただ、「国が悪い、社会が悪い」か「自己責任」かどちらかというのは命題の立て方がおかしくて、現実には政治経済や社会の影響は個人が遭遇する個人的な事件に織り込まれて表出するもんだよね、という話です。そして、事件を個別的に見れば「自己責任」が問われるものであっても、統計的に見れば政治経済や社会の影響があるのが分かる。

鎖を引っ張って切れたら、「鎖を引っ張ったのが悪い」のか「この輪のところが弱かったのが悪い」のか。答えは「どちらも」なのではないかと、考えてみればごく当たり前のことを思うのです。

August 19, 2011

祖父の記憶。

前回、実家に帰省した時のこと。

自宅にタクシーを呼んで空港に向ったんですが、初老のタクシーの運転手さんが、

「○○××さんのご家族ですよ・・・ね?」

と、おっしゃる。○○××は私の父方の祖父の名前だ。電話でタクシーを呼んだとき姓は名乗っているので、それで気になって声をかけたらしい。

「あ、そうです。。」

その祖父は、もうすぐ40になろうという私が幼稚園の年長組だったときに他界している。35年くらい昔の話だ。

「あー、いやー、やっぱりそうでしたか。昔××さんは△△の仕事をしてらしたでしょう?あのとき私らはよく●●に飯に連れて行ってもらってですねぇ・・・。」

当時の仕事のこと、同僚のこと、どんな話をしたか、それからうちの祖父が仕事を変わった事、運転しながら懐かしそうに話をされる。タクシーには私の母も一緒に乗っていたんだけど、母は部分的には運転手さんの話に覚えがあるらしい。

私には祖父の思い出はほとんどない。顔も覚えていない。思い出せるのは、今、私が実家にいるときに使っている2階の四畳半の部屋でいつも寝ていた姿、寝たばこをしていた姿、そしてなぜか祖父が乗っていた白い日産サニーの後部の映像。その後は病院で臨終の際に酸素マスクをつけた姿を病室の外からちょっと覗いたこと、葬式になっても「死」の意味が実感できず親戚のお兄ちゃんとケタケタ遊んでいた事、斎場ではなく自宅で葬式をして父が見慣れない黒い礼服で挨拶していた事、それくらいなのです。

不思議な気分でした。もう他界して35年も経った人なんだけど、家族でもない、今はもう何の接点もなくなってしまった人の記憶の中に生きていたんだと。孫の私も知らない姿がこの人の記憶の中に生きているのかと。

あの人はどんな人生を送ったのだろうか。戦争には行ったのだろうか。あの戦争をどうやって乗り切ったのだろうか。

そしてまた30年も経てば、きっとそのタクシー運転手も他界し、私もいずれ死を迎え、祖父の記憶はこの世から完全に消えてしまうのか。

終戦記念日は過ぎてしまいましたが、今年の8月15日にはそんなことを思い出していました。

次に帰省した時には、父に祖父のことを少し聞いてみよう。なんかだか変に照れ臭いけど。

August 14, 2011

ナミビア。



ナミビアに行ってました。純粋に観光で。
南アフリカの北西、大西洋に面した国です。ドイツ領南西アフリカから南アフリカによる統治を経て、1990年に独立した若い国です。国名の由来は国土の相当部分を占めるナミブ沙漠から。そしてその国土の面積は日本の2倍以上あるのに、人口は200万人強しかいないという人口密度の低さも興味を惹きます。

ドイツ領だった時代にも南アフリカが飛び地として統治していたWalvis Bayの空港から、大西洋に面したこじんまりとした町Swakopmundを経て2時間ほど北上すると、Cape Crossに到着します。なんとかっていうポルトガル人だかが最初に到着したところらしいのですが、そんな話も圧倒してしまうのはアザラシのコロニー。




死んでるように見えますが、生きてます。


さらに北上すると、Skelton Coast(骸骨海岸)と呼ばれる海岸線のドライブになります。船の座礁が多いことで有名な海岸で、途中には座礁したばかりの船もありましたが、時間が経つとこんな風に。


骸骨海岸、っていう名前も分かる。骨が落ちてました。


で、レンタカーがドロドロ。


海岸を離れ内陸側に進み、ナミブ沙漠観光の拠点の宿に。宿からの景色。


そして、Namib-Naukluft国立公園の入口から近いところにある砂丘、「Dune 45」。入口から45kmのところにあるからそう呼ばれているそうです。風が強い日でしたけど、みんな登ってますねぇ。


途中、ダチョウやガゼル、オリックスもいる。写真はオリックス。


そして、アプリコット色の砂丘。






さらに歩いて行くと、300年前に干上がったといわれている湖の跡。Deadvlei。


自然の景観というよりは、なんかのデザインのような景色です。


枯れ木は湖よりもさらに古く、600年〜900年前のものと考えられているそうです。


この地の砂は鉄分を始めミネラルを多く含むせいで重く、砂丘の場所があまり変わらないそうです。

こっちの湖にはまだ水がある。


砂丘に向う途中の風景。まったくもって何もないっていうか、わけが分からない感じ。


植物の生えているところもある。これは通称「ostrich cabbage」。「ダチョウのキャベツ」。


ヘリコプターで行けるのは、沙漠のほんの入口のところまで。それでも壮大な景観です。






地表見えるぶつぶつの模様は「fairy circle(妖精の輪)」。そこだけ草が生えない。地中に草の生育を阻むシロアリがいるとも言われているけど、その「妖精の輪」の土を取って来て虫を除いてから鉢植えの土にしても植物が枯れるそうで、本当のところはよく分からないとガイドさんは言ってました。




宿泊中の宿を上空から。


草原に沈む夕日。




ナミビア。植民地や信託統治領としての歴史や、少数民族の歴史、現在の政治経済など興味深い話もいろいろあるんですが、とりあえずはこの圧倒的な景観。無粋なことは今は語りますまい。

広い国なので私たちが見たのはほんの一部だし、写真をいくらアップしてもやっぱり実際に見ていただかないとこの壮大さは分かりづらいですよ。日本からはバンコク、シンガポール、香港、ドバイなどを経由してまず南アフリカに入ってからさらに飛行機で2時間ほど。さらに車で400km〜500kmは走らないとナミブ沙漠の入口のSossusvleiまで到達しないので簡単じゃないですが、行ってみる価値はあると思いますよ。

おまけ。
記念撮影するため、道路脇に打ってあった杭の上にカメラを載せようとがんばっている私。

July 31, 2011

植民地主義の清算。

現実はもっと複雑でこのブログで書き切れるものでもなく、マジメに書いたら論文か本にしなきゃいけないような内容なんですけど、手短に要点だけメモっておこうと思います。アフリカに住む白人の話。特に南部アフリカの話です。

*   *   *

南部アフリカに住む白人の住民が言う。「先祖代々、300年もこの地に住んでいるのだから、白人の現地人として認められてしかるべきだ。」一方の黒人住民はこう言う。「300年住んでいるといっても、植民地主義者の末裔には変わりない。我らの土地から搾取したものを返せ。」

そして平行線のまま議論が続く。

白人がアフリカ大陸に進出し始めたのは15世紀。当初は所有権のはっきりしない土地に入植し、開拓していったのだと思います。そしてやがて農業や鉱業の果実を得ることになりました。労働力として黒人を安く使い、富を蓄えていったのです。黒人側からすれば、搾取されたとも見えるでしょう。

他方、白人の側からすれば、なんら活用もされてない荒れ地に綿々と投資を続け、勤勉に働き続けた成果だと主張したいでしょう。また、白人が入植したおかげで教育や衛生が持ち込まれ、黒人の死亡率が劇的に低下し黒人の人口爆発がおきたのも事実であれば、それまで新石器時代と大差ない生活をしていた黒人に豊かさのお裾分けがあったのも事実です。

極々単純に考えれば、この黒人と白人の係争を処理する方法として2つのパターンが考えられます。

ひとつは、白人側が黒人側に土地を返す方法。ただし、入植した白人に対して、彼らが投資した物資や労働力に対する補償が支払われる必要はあるでしょう。そしてもうひとつはその逆で、白人側が土地所有を続けることを認めるかわりに、白人側が黒人側に土地使用、現地資源の利用の対価を支払うやり方。原理的にはこの2つが解決策としてありうると考えられます。

ところが、現実はそうは簡単にいきません。まず、白人側にも黒人側にも合意に達した場合に支払うべき補償や対価を融通できるだけの資力がない場合が多いです。「そうは言っても払えない」ということですよ。あるいは、金の問題だけでなく人材の問題もある。たとえば白人が黒人にその事業を譲るとして、黒人にそのノウハウがあるのか。ノウハウのある人はどこにいるのか。仮にいるとして、どうやって事業を引き継ぐ黒人を選ぶのか。そこには利権が生じ、腐敗の入り込む隙がいくらでもあります。

また、植民地主義の精算とはいえ、すでに21世紀のグローバル経済の時代です。ただでさえ貧窮している国が多いアフリカにおいて、白人と黒人の間のうかつな取引によって動いている経済を阻害してしまっては問題です。現に生きている経済を一度止めてから清算する、なんてことはできないのです。経済に悪影響を与えないようにしないと、結局みんなで貧しくなってしまう危険がある。

また、個別にみれば千差万別な事情があります。たとえば、最初にアフリカに入植した白人は土地を勝手に収奪したのかもしれませんが、その後に土地の売買契約や賃貸借契約を結んで入植した人たちは善意の第三者であって、彼らに植民地政策の清算の負担を強いるのはおかしい、という見方もできます。

1980年、南部アフリカのジンバブエ共和国の独立に際しては、宗主国イギリスとの間で長い協議が行われ、原則的にはジンバブエ(当時の南ローデシア)に住む白人イギリス人が黒人にその土地を渡す場合にはイギリス本国が白人農場主に補償を行うという合意が交わされています。植民地政策を推進した政府が責任を取る、ということでしょう。

ところが、経済政策に暗いジンバブエの黒人政権は、ムガベ大統領につらなる元軍人や青年たちの歓心を得るため、こともあろうか事実上彼らに白人所有の農場を自由に強奪すること容認し、黒人たちが白人農場主の家を焼き討ちするところにまで至ってしまいました。もちろん、農地を強奪したところで彼らに農場経営のノウハウや資力がある訳もでなく、機材や残されていた収穫物をぶんどった後は放置された農地も多くて、それまでは農場や関連産業での仕事があった黒人たちまで仕事を失い、経済破綻へと一直線に進んでしまったのです。もちろんイギリスはそんな無茶苦茶な「土地改革」に補償を支払うはずもありません。結局、混乱の中で巨富をかすめ取ったごく一部の特権階級を除いては、みんな貧しくなってしまったというのが今のジンバブエです。

ジンバブエよりもはるかに経済規模の大きい南アフリカはこのジンバブエのバカさ加減を反面教師としているのでしょう。また、南アフリカは、多国籍企業も進出していれば、植民地主義者に抑圧されたという意味では黒人と大差ないインド系の住民や企業も多いはずです。植民地主義を清算する、といったって、だれが「植民者」でだれが「現地人」なのか、ということさえ定義が難しい状況でしょう。それでも、やはり経済活動への黒人の進出は支援すべきというコンセンサスはあり、黒人の経済的権利拡大政策(Black Economic Empowerment: BEE)が進められています。

他方、ジンバブエは農業を食い尽くしてしまったので、今度は製造業や鉱業をターゲットにして外資系企業に所有権の51%を黒人に譲渡することを義務付ける法律、いわゆる「現地化法」を制定してしまいました。白人農場主の土地収奪で甘い汁を吸った政治家、特権階級の人たちが、「夢をもう一度」とばかりに画策している面もあるのですが、さすがにこの無謀な政策に反対する勢力もあり、本格施行がずるずる延びているところです。

*   *   *

アフリカとヨーロッパの長い歴史的関わりの中でおきた植民地支配。南部アフリカにおけるヨーロッパ系住民の生活を見ていると、植民地支配は歴史の教科書の中の出来事として終わった事ではないことを実感しますよ。現代の南部アフリカは当然ながら歴史の延長線上あって、今日の経済政策も歴史の経緯を踏まえた上で立案していく必要があり、植民地支配は今もその残滓で頭を悩ませる要因になっているんですよね。

(この記事は主に南部アフリカ、東アフリカを念頭に書いています。西アフリカになると、植民地時代からの白人住民が非常に少ない上、奴隷貿易の話が避けて通れないことになって、様相が違ってきます。また、北アフリカはアラブ世界、地中海文化圏になってきますよね。)

July 04, 2011

デモに参加する?

このところずっと海外に住んでいるので、参加しようと思っても参加できないんだけど、たぶん日本にいても参加しないし、実際日本にいた時にも参加したことがないです。というのは「デモ」の話。

参加しない理由はいろいろある。デモの種類にもよるけど、なんかどっかの労組か政党が主導、動員している風で、そういうのに縁が薄いっていうこともあるし、デモしている人たちの風体がどうも異質で、たとえ主張に一理あるなと思っても、「あの人たちと一緒にはされたくない」って気分のときもある。

しかしまあ、デモに参加する気にならない一番大きな理由は、世の中そんなに明確に「反対」って言えることってあんまりないってことですよ。原発だって原発依存は下げていく必要があると思うけど、今「反対」って叫んでもそれって「今すぐ止めろ」に聞こえるし、そういう「反対」には共感できないし。

「賛成」と「反対」の間に無数の考えがあって、現実的に取りうる策も「賛成」と「反対」の間にあることが多くて、反対反対って叫んでも何の解決にならないこと多いし。問題は問題で、だからどうするのか、と考えなくちゃいけないのに、反対反対って叫ぶばっかりでどうするの?って思ってしまう。

だから私は、デモに参加しようと思ったことがないのです。で、もし私がデモに参加していたら、それは余程の事態なので気をつけた方がいいですよ。

July 03, 2011

クリケット観戦記。


言っておきますけど、私はクリケットのルールはまったく知りません。あの、バッターのところにある3本の棒はなに?って聞いてるレベルです。それが、クリケット・コカコーラ杯のオーストラリア対ジンバブエ戦が日曜だから見においでって誘われて、成り行き上、断れなくなって見に行ってきました。

試合は9時からという話で、クリケットって試合が長いという話だけは知っていたので、10時半頃にスタジアムに。

まあ、試合は始まってるんですけど、人は、まだまばら。これから三々五々集まって来るみたい。会場で待ち合わせた知人がルールを解説してくれるんですけど、やっぱりそんなすぐにはよく分からない。で、ビール飲み始める。

昼近くになると、だんだん人が増えてきて、みんなで持ち寄ったお弁当食べたり、よそんちの子どもと芝生で遊んだり。知っている人もぱらぱらとやってくる。

試合は続行中。なんか、メリハリのない単調な運びなんだけど、ときどき会場が「わー」って盛り上がる。よく分かんないけど。10時半頃から見ててて、初めて攻守が交代したのが12時過ぎ。そろそろ飽きて帰る人も出て来るんだけど、その頃から来る人もいる。

午後2時過ぎ。快晴の日の芝生の上。おなかもいっぱいになってビールも飲んで気持ちよくなってきて、いよいよクリケットの試合内容なんかよくわからなくなって来て、「試合はどのくらい進んでるの?」と聞くと、まだ中盤前だという。もう帰る人もあり、これから来ている人もあり。私ももう、今日はこれで十分だなーと思って、適当なところでみなさんにお別れを言って帰ってきました。

*   *   *

クリケットの試合が好きで見に来ている人ももちろんいるんだけど、コカコーラ杯くらいの試合だと、クリケット観戦っていうのはクリケットを口実にしたピクニックですねぇ。クリケットがみんなが集まる根拠になっているんですけど、真剣に試合に見入っている人はあんまりいない。

あるいはあれは、一種の社交のフォーマット。会食、レセプション、ゴルフ、などに続くものだなと思いましたよ。で、会食やレセプションは始まる時間がちゃんと決まっていて、せいぜい2、3時間で終わるのに対し、クリケット観戦はもっとカジュアルで一日中だらだらやってるという形式の差があるんだけど、その違いを活かした違うフォーマットの社交場になってるなと。なんとなく人が出入りし、普段とは違う開放的なところで友人知人、仕事上の関係者なんかと挨拶を交わし、雑談して関係を確認する。そんな場になってました。

クリケットもワールドカップとかになれば真剣な試合としてみんな観戦するんででしょうけど、コカコーラ杯くらいだと「スポーツ観戦」という意味合いが薄いですよ。サッカーや野球を観戦するのとは違う。縁日や野外コンサートに近いかな。

ということで、クリケットのルールは結局分からずじまいだったんですけど、観戦の仕方はだけはなんとなく学んできましたとさ。

June 19, 2011

政府開発援助=人道支援、ではないよ。

「震災後のこの大変な時に、海外に援助なんかしている場合か。」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。

「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。

あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。

ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。

アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。

日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。

*   *   *

東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。

本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。

June 05, 2011

アフリカ貧困国の特権階級。


今、30代後半以上の人たちのアフリカに対するイメージって、1980年代のエチオピア飢饉のイメージからあまり変わってないんじゃないかと思います。乾いた大地にやせ細った黒い人々が座り込んでいる姿が延々続く景色。2000年代に入っても、スーダン・ダルフールで似たような状況が再現されたし、相変わらず「黒人の」「暑く」「貧しい」大陸というイメージは変わっていないんじゃないかなと。

アフリカには50以上の国があり、一口に「アフリカは」なんて括って話すことは難しいです。北アフリカはアフリカといっても文化的には中東・アラブ圏だし、モーリシャスとかセイシェルとか、一応アフリカだけど島国でほとんど先進国並みという国もある。南アフリカは気候的には地中海的だし、経済は中進国。エチオピアにしても、首都アジスアベバはそれなりに開発が進んだ住みやすい都市だと聞いています(標高高いので空気が若干薄いらしいけど。)。

そんな感じなので、アフリカの印象をひとまとめに語ることはできないですけど、でも、それでも、やはり開発の遅れた、貧しい、破綻した国家が多いのは事実。特にサブサハラ、ブラックアフリカと呼ばれるサハラ沙漠以南のアフリカや、西アフリカにはその傾向が顕著です。

ところが、たしかに貧しいんですけれど、共通しているのはたいていどこの国にも特権階級がいて、破格に豪勢な生活をしているんですよね。豪邸に住み、高級車を何台も所有し、使用人を大勢使って生活している人たちがいる。で、そういう人たちが陰に陽に政治に影響力を行使し、またある時は自身が政治家であったりするんです。

粗末な社会インフラの中で非常に貧しい生活を強いられている多くの人々とほんの一握りの特権階級、というのは多くのアフリカの貧困国に共通した構造であるように見えます。そしてこの特権階級の人々は、自国の発展にはあまり興味を持ちません。自国よりも、自分の一族の発展が第一です。そして、対外的には「自国の発展のため」という説明をしながら、実際には「自分の一族のため」の支援を得ようとします。彼らの視界の中に、自国の国民の姿はほとんど存在しないような気さえしますよ。

「特権階級と多くの貧しい国民」という構造は、「封建領主と領民」の関係に似ているところがありますが、ひとつ違うところがあります。封建領主は領民から年貢や人頭税を取り立て、労役を課したのですが、アフリカの特権階級は国民から直接は搾取しません。彼らの収益源は、国営・公営企業の収益や鉱山開発等のロイヤリティ収入、独占事業や許認可事業による収入、あるいは関税収入や海外からの開発援助に関するものが多く、本来ならば国民が手にし得たはず富をかすめているので間接的には搾取していることには違いないのですが、国民の財布から直接抜き取るようにはなってないのです。現に、このような貧しいアフリカ諸国の国民負担率((租税負担+社会保障負担)/国民所得)は10%〜20%程度で、多くの先進国の40%〜60%という水準を大きく下回ります。この国民負担率の低さは、特権階級(≒為政者)対しては、国民の負担によって国家が運営されているという意識を希薄にさせるように働くと考えられます。納税者に対する説明責任というものをあまり気にする必要がないので、国民のため、国民の付託に応えるための政策を打つという意識も希薄になり、「視界の中に国民の姿がほとんど存在しない」という状況になるのも当然という構造ですよ。

だから、そういう特権階級の人たちは、社会の民主化が進み経済が自由化されると自分たちの特権・地位が危ないので、たとえそれが自国の発展を妨げ国民が貧窮することになる政策であっても、それを支持することさえ、ままあります。表向きは経済発展、開発が重要と主張し、自分が利権を持つ企業が利益を拡大できる場合は積極的に推進するのですが、自身の利益に反することは、たとえ経済発展に必須な政策であっても、「国家主権の問題」というようなもっともらしい理由をつけて、厚顔無恥にも反対するのです。

日本だったら自民党に聞いても共産党に聞いても「日本を発展させたい」という根本では一致すると思いますけど、こういう貧しいアフリカの国には、無自覚的にしても本音のところで「今のままでいい、発展させない方がいい」と思っている特権階級、支配階級がいる国が多いんです。

汚職とか腐敗とかいうと贈収賄を思い浮かべますが、贈収賄くらいならかわいいもので、国のシステム全体が搾取の構造になっている「腐敗」なんですよね。アフリカが発展しないことを書いた本や論文はいくらでもありますし、私がここで書いているようなこともまあ簡単に言ってしまえば「利権の構造」ということで特に目新しいことではないんでしょうけど、アフリカの途上国に3年以上住んでみて、そういう構造が実際に存在していることに気付いて、残念な気持ちになるのです。

May 29, 2011

ロバを売りに行く親子。

ずーっと昔、子どものころに読んだ絵本に載っていた童話「ロバを売りに行く親子」のお話を、最近時々思い出すんです。お話のあらすじはこんな感じ。

*   *   *

ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。

2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいない事だ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。

しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。

また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。

するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。

しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。

http://bit.ly/jVqT7h(Wikipedia:ろばを売りに行く親子)

*   *   *

この童話を読んだ当時はその寓意なんか全然分かってなかったんですけど、今になって読むととても納得するところがありません?

イソップがこのお話を作った紀元前の時代にはもちろんテレビもインターネットもなかったわけで、ロバを売りに行く親子に何かと難癖つけるのは彼らを見かけた道端の人たちだけだったんでしょうが、今や「ソーシャル」の時代。実際には道端にいない大勢の人にも、ロバを売りに行く親子の様子が瞬時に伝わってしまうのです。そして、特にちょっとでも世に知られた人が何か行動を起こすと、twitterなんかでもう、いろんなことを言われてしまうわけです。ありとあらゆることを言われて、私だったらびびってロバといっしょに道路の真ん中で固まってしまいそうですよ。

そしてもうひとつ思い出すのは小泉元首相が発した「鈍感力」という言葉。たしかに注目を浴びる政治家ともなれば、ロバの運び方についていちいちみんなの意見を気にしてはいられない。どうでもいいからロバを運ばなくてはならないわけで、「鈍感力」というのはまた、膝を打つアイデアですよね。

人の意見をまったく聞かないのは褒められたことじゃない。でも、この「ソーシャル」の時代、イソップの頃とは比べものにならない数の人がロバを売りに行く親子の行動を論評し、正直、揚げ足取りのような意見も大量にネットに流されていくわけです。そこからどんな有用な情報を拾い、どう判断し、ロバといっしょに道の真ん中で固まらずに先に進んで行くか。心ない批判、くだらない揚げ足取りに心折れることがない鈍感さ、図太さとともに、そんなリテラシーがないと身動きさえ取れない時代になったなぁと、あの絵本に載っていた幸薄そうな親子の顔を思い出しながら考えるのです。

May 15, 2011

国際的たらい回し。


ジンバブエの首都ハラレに滞在中にたまたま取った電話で、見ず知らずの現地の人から「日本から中古車を輸入しようとして代金を振り込んだが、相手が音信不通になった。」との相談を受ける。こっちが日本人だというのをどっかで知って電話をかけてきたんだと思う。

「はぁ、またですか。」

いや、電話してきた人にとっては初めてかもしれないけど、当方にとっては「またか。」です。アフリカにいると、そんなに珍しいことじゃないんです。ときどき聞く話。

「笑い事じゃないんだ!」

そりゃそうでしょう。被害額はたいてい数千~数万ドル。インターネットで日本の中古車輸出業者のページを見て車種を選び、メールと電話&ファックスで契約をしたというのがほとんど。 それで代金を振り込んだら相手が行方不明になる。

ためしにその中古車取扱業者のページを見てみると、見かけはちゃんとしたページには見えるんだけど、肝心の会社概要がなかったり、簡潔過ぎたりするんです。載っている電話番号の市外局番から「たぶん神奈川の業者でしょうね。」と分かる程度だったり。で、取り扱ってる中古車は確かにちょっと(かなり)お買い得な価格設定になってる。 さらに、英語はちゃんとしてるのに日本語が妙にぎこちなかったりで、これってロシア人とかパキスタン人とかがやってる中古車ブローカーじゃないの?って臭いがプンプンする。

昔、この手の問題の場合はまずどう対応すべきなのか警視庁に電話で聞いてみたことがあります。その警察の人曰く、まず現地の警察に被害届を出し、現地の警察が国際警察機構を通じて日本の警察に捜査依頼を出す、というのが標準的な手続きですと。なるほど。

しかしねえ、ジンバブエのような途上国の場合、どこまで現地の警察に事務処理能力があるかが多いに疑問です。しかも、被害者がジンバブエ国籍ではなくて、コンゴ国籍とかナイジェリア国籍だったりするし、ジンバブエは内陸国なので、中古車の配送先が南アフリカのダーバン港までとか、モザンビークのベイラ港までの契約になってる場合も多い。そこまでは自分で引き取りに行くつもりだったんでしょうけど、そしたら「現地」ってどこよ?って感じです。

要は、ジンバブエに住んでいるコンゴ人が、日本にいるパキスタン人の中古車ブローカーから中古車買ってモザンビークまで車を輸入しようとして詐欺に遭った。

あーもう、くらくらするね。この一文で被害回復の望みが薄いことは明々白々、残念ながら。国際的にたらい回しにされるのは目に見えてる。

「まずはジンバブエの警察に相談したらいいんじゃないですか?」

私もそう答えたしね。

*   *   *

日本中古車輸出業協同組合という業界団体があって、そこに加盟している業者だったらまだいい。音信不通になったらその団体が確認してくれるみたいだし、被害の回収などもやってくれるらしい。場合によっては代理弁済もやるらしい。でも、相談してくる人が代金を振り込んだ業者はまず、この団体には加盟してないです。

といって、数千ドル~数万ドルの被害だと、日本に渡航して被害を回復するのも費用がかかりすぎて意味がない。ジンバブエから日本までだと、渡航・滞在費が最低でも数千ドルになっちゃうからね。

この手の詐欺で泣き寝入りしている人、少なくないんじゃないかと思いますよ。 まあ、自己責任といえばそうなんですが。

May 14, 2011

「日本は終わった」の?

日本からのニュースが暗い話、気の滅入る話ばっかりなんですよね。地震、津波、原発事故が起きたからそれはまあ仕方ないんですけど、それに続く話もろくなニュースがないように見えます。私のtwitterのTLが偏ってるのかもしれないけど、それを抜きにしても、今後を嘆く声ばかりが聞こえてくる。そして、それがいちいち筋は通っている。もう、「日本は終わった」という勢いです。

たしかに厳しい。しかも、原子力災害補償スキームひとつにしてもマトモなものを設計できない政治。先行きを考えると重苦しいのはたしかにそう。

・・・なんだけど、でも、ふと思い出す。そこまでダメダメなんだっけ? 世界トップレベルの平均寿命、貧しくなったとはいえまだ世界的には豊かな部類に入る庶民の暮らし、類を見ないほど洗練されたサービス、それなりにちゃんとした教育を受けた1億人を超える人口。高齢化や震災で斜陽は迎えるかもしれないけど、だからといって「終わった」わけじゃないよね? 現に日本に帰ると(東京以西しか滞在してませんが)、「あれ?」っていうくらい生活は普通だし、楽しいし、美味しいし、刺激的だし、友人たちもそれなりにいきいき仕事しているしさ。

日本から遠く離れた海外に在住したりなんかしていると、日本に関する情報はごくわずかです。日本人として積極的に日本のニュースを日本語で取りにいっていればそれなりの情報は入りますが、そうじゃない一般の人々の日本に関する知識はほんと、限られています。そんな状況の中で、「ダメだダメだダメだ」と発信してばかりいたら、ホントに海外で「日本は終わった」という単純なメッセージが固定してしまうんじゃないかと恐ろしくなるんですよね。

アフリカなんかにいると、原発事故こそないけれど、もっと「終わってる」国はいくらでもあります。「破綻国家」とか酷いラベルを貼られた国も多い。しかしそんな国でも(いや、そういう国だから、かもしれませんが)、人々は日本人には奇異に映るほどプライドが高いし、「オレたちのどこが悪いんだ?批判するヤツがおかしい。」くらいの厚かましさを持っていますよ。

そんな厚顔を日本人が真似するべきでもないし、しようと思ってもできないけど、でも、あんまり自己卑下ばっかりして、責めて、批判して、ネガティブなことばっかり発信し続けるのは不健康だなぁと思うのです。日本は元気だ、大丈夫だと空騒ぎするわけにもいかないけど、悲観ばっかりしてても何もいいことはないし、「なんとかしよう」「なんとかなるさ」っていうメッセージがもっと発信されるといいなって思うんですよ。

May 07, 2011

「それは、なんのため?」

「コーヒーを出して。」と、上司が言う。

Aは「はい。」と答えて引っ込み、しばらくして戻って来て、「コーヒーがありませんでしたので出せません。どうしましょうか?」と訊く。

Bは「はい。」と答えて引っ込み、コーヒーがないことに気付く。で、ここで考える。上司が「コーヒーを出して。」と言ったのはなんのため?客人をあたたかい飲み物でもてなすためだよね。だったら、コーヒーはなくても、紅茶でも日本茶でも、とりあえずはいいよね。「あいにくコーヒーは切らしてますが、日本茶をお持ちしました。」

*   *   *

Aは、公務員の仕事のイメージ。

Bは、コンサルタントの仕事のイメージ。

「それは、なんのため?」コトの本質を問い、解決策を提案する。かっこよく言えば「ソリューションの提示」なんてことになるのかな。

コンサルタントじゃなくても、「それは、なんのため?」あるいは「それは、なぜ?」と、日々の出来事を、たとえそれが当たり前のことのように見えても、立ち止まって問うてみることが大切なんだと思うよ。そこから、新しい発見がある。全体像の理解が進む。

*   *   *

上司が客人をあたたかい飲み物でもてなすのは、なんのため?

ー>客人とよい関係を築くため。(客人とよい関係を築くためには、どうすればいい?=なぜ、客人とよい関係が築けないの?)

客人とよい関係を築くのは、なんのため?

ー>商談をうまく進めるため。(商談をうまく進めるためには、どうすればいい?=なぜ、商談がうまく進まないの?)

商談をうまく進めるのは、なんのため?

ー>売上を伸ばすため。(売上を伸ばすためには、どうすればいい?=なぜ、売上が伸びていないの?)

売上を伸ばすのは、なんのため?

ー>給料を上げるため。(給料を上げるには、どうすればいい?=なぜ、給料が上がらないの?)

給料を上げるのは、なんのため?

ー>豊かな生活をおくるため。(豊かな生活をおくるには、どうすればいい?=なぜ、豊かな生活が送れないの?)

・・・

こういうのって、「システム思考」とか呼ぶらしいけど、要は「それは、なんのため?」って問うてみるのは有意義だよ、って話です。

May 02, 2011

やっぱり一票の格差の問題に行き着く。


波照間島に行ったんですけどね。お天気にも恵まれて、日本最南端の有人島を満喫してきました。白い砂浜、そこから続く輝くような青い海。その先は足が着く深さのところからすでにもう珊瑚礁。ゆるーい空気が、使い古された言葉だけど「癒し」になります。

というような波照間島観光の見所は他にも紹介されているサイトがたくさんあると思うのでそちらに譲るとして、私が気になったのは、やはり離島の暮らしは公共事業に頼らざるを得ないという現実を見たこと、なんですよね。

その畑から上がる収益ではきっと回収できない費用がかかる圃場整備や利水事業。観光客を乗せた車が日に何台か通るためだけなのにきっちり舗装された道路。新しいところでは地デジ対策。

公共事業による利益誘導だの、公共事業に頼る過疎地の経済だのっていう話は自民党政権時代、それも小泉政権時代よりもっと前に盛んだった議論でいまやもう過去の政策課題のように見られているんでしょうが、とにもかくにも公共事業がないと島の経済は成り立たないんだろうなーっていうのは、ほんの短い島への滞在でも感じられましたよ。

日本経済が停滞期に入ってはや20年。「俺らの生活をどうしてくれるんだ?」という声が地方からだけでなく都市部でも噴出するようになり、コストをかけて村の暮らしを維持する余力を失いつつある中、今後はどうしていくんだろう?って、背筋に寒いものを感じたのは事実。

いや、波照間島はそれでもまだよいのです。すばらしい観光資源があるし、移住したいと思わせるだけの魅力もある。現に、島に居着いている本土の人にもお目にかかったし。なんとかなると思う。

しかし、どんどん増えているという「限界集落」って今後どうするんだろう。波照間のような際立った特色もなく、高齢者ばかりになった集落が万単位であるらしいけど、そのすべてで生活基盤を維持させるためのコストは負担できないよ、この経済停滞期に。

「住み慣れた土地を離れたくない」という主張は心情的には分かる。でも、希望を全部は聞いていられないのも確か。どこかで妥協が必要で、その妥協点を見出すのが政治の仕事なんでしょうけどねぇ。

*   *   *

・・・そう考えると、私の疑問は一票の格差の問題に行き着く。今の制度では、往々にして限界集落の人たちの意見がより多く聞き入れられることになってます。衆院で2倍、参院で5倍の一票の格差ってそういうこと。限界集落の今後を議論するのに、「政府が責任をもって維持するべきだ」という人が多いと思われる勢力の意見を2倍、5倍の大きさで聞くってことだよね。それはフェアじゃないよね。

代表が集まって議論をしようと言うのに、代表の選び方がフェアじゃないんじゃぁ、仕方がない。

ということで、えらい話が飛んでしまいましたが、まず一票の格差是正が重要だと思う次第なのです。

April 11, 2011

新幹線の車窓から。

実家のある福岡と本社のある東京の間はいつも飛行機で移動しているんですけど、今回は福山で知人を訪ねる予定があり、片道を新幹線で移動しました。

新幹線の車窓に広がる、東京からずっと途切れない街並。ビル、工場、護岸工事された河川、そして、つつましくもきちんとした暮らし。

東日本の震災は未曾有の規模で、被災された方々、直接の被災はなくとも影響を受けている方々の辛苦は「分かります」などとはとても言えないレベルです。

しかし、新幹線の車窓から見えた東京以西の街は、「日本にはこれだけの街があり、これだけの人がいるんだもの。きっと大丈夫。」と思わされるに足る景色でした。なんの科学的、経済学的根拠もない私的な印象に過ぎないんですけどね。

時折視界に飛び込む満開の桜が美しかったです。桜前線はもう、東北地方まで北上したのかな?

April 01, 2011

「絶対に」安全、なんてないのさ。

「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という問いには答え難いですよ。なぜなら、確率・統計的事象に対して、「絶対に」安全ということはないですから。言い切らないのが科学的には正しい態度です。

日本で車に乗ってたら走行距離数百万キロで1件というくらいの確率で交通死亡事故に遭遇するし、こんにゃくゼリーで命を落とす人もいる。だから、車もこんにゃくゼリーも「絶対に」安全とは言い切るわけにはいかない。結局、公式には「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」というような持って回った言い方にならざるをえないし、それが科学的に正確な答え方だと思うんです。

ところがそれでは納得しない人が少なくない。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に答える側は、「判断」を示すよう迫られます。

しかしその「判断」は人によって異なるもの。あなたは安全と思うが私は安全とは思わないかもしれない。「判断」は主観的なものなのです。たとえ事故の確率が十分低くても、こんにゃくゼリーで我が子を失った親はこんにゃくゼリーを安全な食べ物とは看做さないでしょう。

さらに悩ましいのは、「安全」か「そうじゃない」かの二択でしかモノゴトを見ない人にとっては、往々にして「安全」といえばゼロリスク、100%の安全を意味していることですよ。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に「安全」と断言してしまうと、そういう二択の人たちは「事故が起きているのに『安全』とはなにごとか。虚偽だ。」と責めるのです。

といって、「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」という言い方をすれば、二択の人たちは、「不正確だ」とか、「ということは危険も残っているのだな。そんなものを認めるとはなにごとか。」とまた責める。

ゼロリスクを求めていては何もできないのです。車にも乗れないし、包丁も使えない。こんにゃくゼリーも食べられないし、それこそ外を歩いていて隕石に当たる確率だってゼロではない。「安全」か「そうじゃない」かの二択ではなくで、危険度を評価することが求められるんです。その上で判断するリテラシーが必要なんですよね。

とはいえ、昨今話題の放射線被曝の危険性については、内容が高度に専門的だし、体感的に理解できないし、自分で「判断」するようを求められても困るという人が多いだろうし、「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と言いたくなる気持ちも分からなくもない。だからこそ「その数字が何を意味するのか。」ということを丁寧に解説するコミュニケーションが必要になると思うのですが、マスコミも二択の人と一緒になっちゃって騒いでる場面も見かけてしまう。

それで人々は、不必要に怖がったり、過剰に安心したり、果ては情報隠蔽や陰謀論に振り回されたり。悩ましいですね。

*   *   *

うだうだと書きましたが、要は「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と訊かれる側にはなりたくないなぁ、というのが正直な感想で、今まさにそういう質問に晒されている人たちには同情を覚えるのです。

March 26, 2011

(無)計画停電。(ジンバブエの場合)

慰めにもならないでしょうが、世界にはこんな電力会社、(無)計画停電もある、というお話。ジンバブエ電力公社(Zimbabwe Electricity Supply Authority:通称ZESA)の件。

最初に申し上げておきますけど、ジンバブエってかつては先進国並の国だったんですよ。南アフリカと同等かむしろ上で、宗主国イギリスによって都市もインフラも整備され、農業も製造業も活発で、教育や医療も整ってた。1980年代頃までは、アフリカの「bread basket」と言われるくらい豊かな土地が広がってたんですよねぇ。それが徐々におかしくなってきて、白人敵視、欧米敵視政策をとるようになった2000年代に完全に破綻してしまったんです。そして2008年に経済が崩壊、どうしようもない国になりました。世界の鼻つまみ者です。

そんな経緯があるので、住宅は停電を前提とした設備がないのが普通。たとえばガーナとかバングラデシュのような正真正銘の途上国の場合、当然インフラも整備がままならないので、一定水準以上の生活を営む人(多くの外国人も含まれる)の住む家やアパートは最初から停電があることを前提とした設計になっているんですよね。敷地内に発電機があって、停電の時はそちらに切り替える設計になっていたりする。が、ジンバブエの場合は、元は停電なんてないちゃんとした国だったので、そういう設計になっている家は少ない。

ZESAは公営企業で無責任経営、ムガベ大統領与党の利権になってもいたので、国の政治経済が無茶苦茶になるに従って、当然のように無茶苦茶になっていきました。

まず、電力インフラの維持管理ができなかった。ジンバブエの主力の発電所はカリバ水力発電所とワンゲ石炭火力発電所なんですけど、カリバの方はジンバブエ独立前、植民地時代の1960年頃に建設されたものでそれ以降はチマチマとした場当たり的修理はやったものの、大規模な修理はできていないので、本来の発電容量の半分とかしか発電できていない。ワンゲの方も、最後に大規模に設備投資したのは1980年代。さらには、燃料の石炭は国内で産出できていたんですけど、経済破綻で鉱業も著しく停滞してしまったので、まともに稼働できていない。

結果どうなったかというと、ジンバブエ国内で必要とされる2500MWのうち、全部合わせても1000〜1500MWしか発電できないという有様に陥ったわけです。それで、隣国(モザンビーク、ナミビアなど)から電力を輸入する、という手に出たんだけど、経済が崩壊しているので支払いが滞る。巨額の債務が出来る。設備投資が出来ない。という悪循環。

経済が極度に悪くなったので、生活苦からの電線の盗難も多発。変電設備の故障も修理できず、どんどん供給能力が落ちて、停電が日常茶飯事になっていきました。

みんなが電気を使う時が逼迫するので、一般家庭では朝方と夕飯時の停電、工業地帯では昼間の停電が多いらしいです。停電しても、まあ一般家庭であれば、数時間すればまた電気戻ってくるかなぁ、夜9時過ぎたら復活するかなぁと、ある程度は予測が付くことも多いんですが、たまには一日中、地域によっては数日にわたって停電が続いたりしているみたいです。

もちろん、電気料金もまともに課金できてない。そもそも自国通貨がハイパーインフレを起こしていた時期があったので、いくら課金すべきなのかも分からなくなってしまってる。それで、自国通貨が事実上廃貨されたあとは、便宜上米ドルで、大きな家は月40ドル、集合住宅は月20ドルとか適当な集金を始めたんですけど、そんなんじゃZESAの債務が解消されるわけもなく、私の知人宅にもよく意味不明な請求が来てました。先月まで40ドルだったのに、今月は800ドル、とか。もう管理もなにも無茶苦茶になってるので、取れるところから取ろうとしているだけだと思いますよ。外国人で金回りの良さそうなところにはふっかけるだけふっかけてみる。金持ちでも、ムガベ大統領与党の有力者のところは電気料金を払っていないというウワサだし。

で、800ドルとかの請求がきたら、ZESAに交渉に行かねばならない。自分で自宅の電力消費の記録をつけて、請求が法外であると主張せねばならない。しかし、このとき、交渉がまとまらなくても、まったく払わないで帰ってくるとマズいらしいんです。ZESAが電気を止めるから。それも、物理的に配線が切られて修復に時間がかかる羽目になるので、小額でも払って来るのがコツらしい。払っていれば、電線切られることはないらしい。んで、しばらく粘り強く交渉すると、相手が折れて800ドルが100ドルになったりするんです。もう、支離滅裂。

さらにひどいことに、ZESAはムガベ大統領与党支持者の利権なので、管理職の給料が無茶苦茶に高い。公務員の給料が月200ドルとか300ドルとか、首都で6人家族が生活するには月500ドル〜1000ドルはかかるね、といってるところで、月給4000ドルから1万ドル以上をもらってるんです。しかも、そういう管理職が異常にたくさんいる。そいつらの給料は払いつつ、設備投資は資金がないのでできない、困った困ったと言い続けているんですよね。

さらにさらに、停電させる地域の割当もひどくて、大きい病院のある地区や病院が多い地区への送電を優先するのは分かるとしても、次に優先されるのがムガベ大統領公邸及び私邸のある地域、次がムガベ大統領与党支持の有力者や中央銀行総裁などの私邸がある地域、そしてZESAの本社ビル、もっとも頭に来るのが、ZESAの社員住宅も優先的に送電されている様子。

いったい、何のための電力会社やねんってつっこみたくなるよね。仕方ないので、外国人や白人市民は自宅に小型の発電機を据え付けたり、インバーター(電気のあるときに電池に充電しておいて、停電したら電池の直流から交流に変換して使う装置)を買ったりしてる。鉱業系の大きな会社の中には自前で発電所を建てたり、隣国モザンビークの電力会社と契約して国境を越えて送電してもらってるところもある。貧しい黒人居住区では、パラフィンを使うコンロ(キャンプ用みたいなの)とか、未だに薪を使ったりしてる。ガソリンスタンドで薪を売ってるときあるもんね。

幸い我が家は、停電した場合は朝6時半〜7時半、夜6時〜9時は、管理人が同一敷地内にある6世帯で共用の大型ディーゼル発電機を運転してくれるし、だいたい停電はこの時間帯に収まる。昼間は停電してても自分が家にいないしね。で、夜9時以降とか予想外の時間帯に停電した場合は、小さなインバーターがあるので、電子レンジや冷蔵庫は動かせないけど、最低限の照明は数時間はもつのでなんとかなる。加えて、電気料金を家賃込みにする契約にしているので、ZESAとの交渉は管理人がやってくれているので手間がかからないよ。その分、若干家賃割高だけどね。でも、そうでもしないと毎日電力会社や電話会社との交渉に明け暮れて仕事になんないでしょうよ。

*   *   *

世の中にはこんなひどい電力会社もあります。だから東京電力がグダグダでも許してあげてね、などと言うつもりはありませんが、まあ電力会社が相当ひどくても意外となんとかなっちゃったりするもんだよ、というくらいのことは言えそうです。

March 21, 2011

バックパッカーのきみへ。

バックパックを背負って世界一周に出かけた○○くんへ。

今はどのあたりを旅行中でしょうか?

あなたがアフリカの我が家に寄ってくれたのも、もう2週間前の話になります。旅ももう、ずいぶん長くなってきましたね。

もうすぐ地震発生から10日になります。
今回の地震については、どのくらい情報を得られていますか? 途上国を旅行中では詳しい情報を得るのは難しいとは思いますが、並の震災でないことは既にお聞き及びですよね?

地震、津波で阪神大震災を大きく上回る犠牲者が出ているだけでなく、いまだ被害の全容、犠牲者の数さえ掴めていない状況です。さらには福島第一原子力発電所が大きな被害に遭い、今も放射線被爆と戦いながらの懸命の作業が進められています。

天皇陛下がテレビでお言葉を述べられるという場面もありました。

原発事故のせいで都内も計画停電(といっても計画通りにはいっていない)が実施され、情弱な高齢者や主婦たちが不必要な食品の買い占めや東京からの避難に走り、緊迫した空気があるようです。電車の間引き運転や商店の営業時間短縮も続いています。

現在、警察、消防、海保、自衛隊が総力を挙げているほか、空母ロナルド・レーガンも三陸沖に停泊し米軍も大々的に救援活動に当たっており、100を超える国と国際機関からの援助の申し出を受けながら数々の緊急オペレーションが続いています。

震災から10日を過ぎ地震直後のショック症状は次第に収まりつつありますが、その深い傷跡の前に呆然とし、もはや10日前の日本には戻れない現実を噛み締めています。

*   *   *

日本は、2011年を、1868年、1945年と並ぶ時代の節目として記憶することになると思います。

「失われた20年」といわれ、閉塞感に苛まれながら、徐々に徐々に疲弊しながら、しかしなんとか持ち堪えてきた日本社会が、この震災を機に、不連続に、次の時代に突入していくような感覚を覚えています。高度経済成長、バブル時代、「失われた20年」、そして「震災後」。あたらしい「戦後」の始まりのような空気を感じます。

今回の震災で失われた命は数万の単位になることが確実で、失われた命はもはや取り戻すことはできません。しかし、この未曾有の震災にあってなお冷静さを保ち、震災直後から、助け合い再起に踏み出そうとする強さを見せる日本人の姿は印象深いものがあります。ひとりひとりが、自分には何ができるかを省みて、あたらしい時代にむけて歯を食いしばろうとしています。私も、日本から遠く離れたところに住んではいますが、この国難にあたり何ができるかを考えている日本人のひとりです。

*   *   *

○○くんへ。たぶん、あなたの周りにいるバックパッカーたちに中に、あなたにこれを言ってくれる人はあまりいないと思うので、メールの最後にひとこと付け加えておきます。

旅を終える決断をする勇気も必要です。

もう、だらだらしない方がよいのではないでしょうか。旅で得るものも多いでしょうが、失うものの方がが大きくなる前に、決断することも必要ではないでしょうか?

*   *   *

あなたのこれからの旅路が有意義なものになりなすよう!

March 18, 2011

風邪ひいた。

(mixiの日記からの転載)

今日は仕事を休んでいます。

って、計画停電だの電車がどうの、という理由ではないですよ。アフリカですから。

カゼひきました。いつものようにノドが腫れて熱が出て、ふらふらして仕事になんないので、休み。急ぎの仕事、外せない仕事が一段落したので気が緩んだのかもしれない。

事務所に行かないとNHKも見れないし、そもそも熱でボワッとする頭にはテレビの音もつらいので、テレビはオフ。

*   *   *

地震の件、いろいろ思うところはある。それはみんな同じだと思う。大量の情報が流れているのが分かる。日本から地球半周離れた場所にいるという自分の環境から、日本にいるみなさんと違うものを見ているかもしれない。

*   *   *

こういう緊急事態だから、批判めいたことやネガティブなことは書かない、言わないと決めたんだけど、でも、ひとつだけ。

今回の地震の情報を得るのに、新聞社のニュースサイトはほとんど役に立ちませんでしたよ。見ても仕方ない。「たいへん、たいへん!」「もっとちゃんと対応しろ!」という論調の記事ばっかりで、知りたいことが分からないんだもん。

結局、インターネットの向こうにいる、科学者や、専門家や、実際に作業に携わっている人たちの意見を見て回って総合して、何がおきているのか、どのくらい危ないのか自分で考えるしかなかった。

この、もっともメディアが必要とされる時に際して、大手メディアの情報がもっとも役に立たない、ということを悟ったさ。


「頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道」

「危機的状況の中の希望」(村上龍のNYTへの寄稿)


ああ、ノド痛い。薬のんで寝ます。

March 13, 2011

東北地方太平洋沖地震

否定的な言葉を発するのはやめよう。みんな精一杯なんだ。応援しよう。

遠くにいて祈ることしかできないけれど、落ち着いたら募金に応じよう。それしかできないから。

February 26, 2011

地方分権、地域連合、連邦国家。

究極的に国家がやるべきことは、通貨、外交、国防の3つで、残りは地方政府がやればよい、ということらしいです。要はこの3つが、国家主権そのもの、これらを地方に移管したら地方はもはや地方ではなくて国家になっちゃうから、国がやるべき、というのはそのとおりなのでしょう。

しかしもうひとつ、国か地方かという議論には、規模の問題も無視できないように思うのです。適当な規模の人口というのがあるんじゃないかと思うんですよ。

ヨーロッパはEUという枠組みを作って、通貨はかなりの加盟国がユーロの採用で統一し、外交、国防も協同的に行うよう進んできてます。昨年でしたか、「EU大統領」「EU外務大臣」に相当するポストも正式に創設されましたよね。さらに、ユーロ採用のために必要な国家財政の基準を定めたり、各種の規制も統一したりしていて、産業政策のような、通貨、外交、国防以外の分野でも一部で統一されることになっています。通商関係の紛争処理について共同の裁判機構もあって、司法機能も一部が統一されているように見えます。

これって、結局のところは、EUという規模で行う方がそれぞれの国別で行うよりも効率的だから、ということなんだろうと思いますが、要は国家の主権の一部を国家よりも上部の機構で共有する構造を作っているんだと看做せますよね。

一方で、インド、ロシア、アメリカなどは、州、自治区といった地方政府の自治権の範囲が広い。州がほとんど国のような機能を持ってる。これらの国々は国土が広くて人口も多いし、それぞれの地方には特有の事情もあることだし、住民の日々の生活に密接に関わる行政の仕事は地方政府がやったほうが効率的だろうと判断されているんだと思います。

ヨーロッパは国を積み上げてEUという地域連合を作り、アメリカは国を州に分割している。EUにおいては加盟国が「州」に近い存在になり、アメリカにおいては「州」が国に近い存在になっている。

たぶん、その辺りに「適当な規模の人口」のヒントがありそうです。

通貨、産業規制、国防、広域インフラというのはきっと、「適当な規模の人口」が大きい。逆に、公共サービス、福祉、教育なんていうのは、「適当な規模の人口」がそんなに大きくない。で、電力、利水、通商政策、司法なんかはその中間だったり、内容によって人口規模が大きい方がよかったり、そうでもなかったりするような気がします。

要は、地域連合—国—州—基礎的自治体というスペクトラムの中に、「公」が行うべきこと(通貨、外交、国防、インフラ整備、公共サービス、司法、・・・)をどう当てはめるのかというのが、地方分権の問題であり、地域統合の問題なんでしょう。

*   *   *

一言、アフリカについて。

10億の人口に54の国。アフリカ連合(AU)を筆頭に、西アフリカのECOWAS、南アフリカのSADCなど、一応形式的に地域連合は存在するんだけど、ろくに機能していない。国家主権にばかりこだわっていたり国内に内紛を抱えていたりで地域連合の協議なんかできそうもない国や、「あんな国と連携してもろくなことない」と誰もが思う問題国家ばかりですからね。

開発がなかなかすっきりと離陸しないの理由の一部は、ひとつひとつの国が小さくて非効率なのに、地域連合や連携協議を通じて効率的なガバナンスを追求することができない、ということにも求められるかもしれません。まあ、それも植民地支配の残滓と言われれば、そうかもしれませんが。

February 20, 2011

ランダム再生で音楽を聴く。

今日は算数の話。

twitterでフォローしている人が、「1曲の長さが5分の曲がライブラリに1000曲あるとして、ランダム再生で一度も再生されてない曲数が10曲以下になるまで何時間かかる?」というつぶやきを流したんですよね。

私もiPodでランダム再生で毎日音楽聴いてて、なんか同じ曲が何度も出てくるような気がするし、ぜんぜん出てこない曲もあるような気がするし、いったいホントにランダムなんだろうか、どれくらい聞いてればiPodに入ってる全曲を聴けるんだろうか、と思っていたところなので、この際マジメにこの問いを解いてみることにしたんですよ。幸い、私のiPodの中に入ってる曲も約1000曲だし。

で、せっかく解いたので、私の解法をメモっておきます。間違ってたらごめんなさい。

*   *   *

簡略化のため、まず、10曲ライブラリをランダム再生して、9曲演奏されてしまうまでに何回再生すべきか、で考えてみる。

10曲を普通にn回ランダム再生した場合のパターンの数:10^n
10曲から9曲を選んでn回ランダム再生するパターンの数:C(10,9)*9^n

で、10^n > C(10,9)*9^n になるnを求めればいい。メンドクサイので等式にして10^n = C(10,9)*9^nをnについて解く。

C(10, 9)=10なので、

(中略)

n=1/(1-log9)=21.85...

まあ、確率的には22回再生すれば9曲は出現する可能性が高い、ということになるのか。

で、これを「X曲のライブラリをランダム再生して、Y曲聴き終わるためにはn回再生する必要がある。」と一般化すると、

n=log(C(X,Y))/(logX-logY)

1000曲のライブラリで990曲聴き終わるためには、

n=log(C(1000,990))/(log1000-log990)=5365.79...

(ちなみに、C(X,Y)=X!/(Y!*(X-Y)!) )

ということで、5366回くらい再生すれば、990曲は聴けると。
1曲5分とすれば、5分×5366=約18.63日。

ちなみに、1000曲全部聴こうと思ったら、要は999曲以上聴く、と考えればよいので、

n=log(C(1000,999))/(log1000-log999)=6904.3...

5分×6904.3...=23.97...日

連続24日間くらい聴いてれば、全曲聴ける可能性が高くなるんだね。そんなもんか。

・・・って、1000曲聴きたいのならば、ランダム再生せず素直に頭から順番にシークエンス再生すれば、1曲5分ならば1000曲は5000分、約3.472日あれば全部聴けるんですけどね。

February 12, 2011

エジプト雑感。

エジプトの「革命」とイラン革命、そして日本の建国記念日はどれも2月11日ということになりました。覚えやすそうですね。

こないだ「アラブ世界での開発独裁の終わり」というエントリを書いたところですが、ついにムバラク大統領が辞任。時代の流れを変えるこれだけの大事件だし、エジプトは出張で昔ちょっと行っただけでアラブ専門家でもなんでもない私がなにかエラそうなことを言えるわけではないにしても、気付いたことは書いておこうと思います。

*   *   *

1.
「群衆」というものは、ひとりひとりの人間を足し上げたものとは違う、ひとつの生命体のように動くらしいです。「群衆」というのは、なんらかの目的をもって集まった大勢の人間のことで、新宿や渋谷の人混みは、あれは「人混み」であって「群衆」ではないと区別できると思うのですが、ひとたび何らかの目的が与えられれば「群衆」になりうるだけの人間の数だけはいる、という状態です。

(ちなみに、英語では「mob」と「crowd」という単語で区別されるんですけど、mobには暴徒というニュアンスがあるよね。)

他方、カイロのタハリール広場に集まった人々は「群衆」。目的は現政権の退陣、象徴的存在であるムバラクの辞任。分かりやすい目的を持った「群衆」です。

そして、「群衆」を鎮めるための対処方法は2つ。ひとつは、徹底的に力で潰すこと。もうひとつは「目的」を達成させること。

エジプトはこれまで、「群衆」になりそうな芽は徹底的に摘み、「群衆」化した集団は力で潰すという方法を採用してきたんですけど、今回の「革命」は潰すに潰せない規模とエネルギーを持っていた。エジプトにおいては(というか、諸外国ではよくある様態ですが)、軍が政権から一定程度独立した権威を持っていて、その軍が「群衆」を潰すという役割を否定したんですよね。積極的にムバラク政権を追い落としはしないけど、「群衆」を抑える役割も断った。思えばこの時点で、政権の命運は尽きていたのかもしれません。

となると、ムバラク大統領側にとっては、時間を稼いで「群衆」という生命体が弱るのを待つしかなかったんだと思いますが、今回生まれた「群衆」の生命力は時間が経てば弱るというほど生易しくはなかったし、力で潰す、という選択肢が塞がれた以上は、もはや遅かれ早かれ「目的」を達成させるしか「群衆」を鎮める方法はなくなっていたんですよね。

ムバラク大統領が即時退任するまでこの騒ぎは収まらない、というのはみんな気付いていたでしょう?

2.
アラブ、中東世界の大国・エジプトの政権がこういう形で崩壊した、というのは東西冷戦構造の崩壊と同じくらいインパクトのある出来事だと思うんですけどね。アメリカはこれまで、片方で民主主義の伝道師を自ら任じその布教を進める一方で、アメリカにとって都合のよい政権はたとえそれが民主主義の観点から胡散臭くてもたっぷり資金を与えて支援してきた(で、痛い目に遭ってきた)。

今回、このアメリカ外交の本音/建前の構造の象徴的な崩壊だと思うんですよ。イラクやアフガニスタンで既にアメリカは痛い目に遭っていたわけですけど、ついに、アメリカにとってそれこそ中核的利益であるイスラエルの存在と密接に関係するところで、その二枚舌外交が使えなくなった。

新しい秩序ができて落ち着くまでしばらくはゴタゴタすると思う。ムバラクがいなくなったからとって、急にエジプト市民の生活がよくなるわけでもないし、革命後のユーフォリアが冷めた後にはまた一悶着ある可能性も高いと思う。中東/イスラエル問題の再定義も必要になるし、しばらくは不安定化する可能性もあるでしょう。まあでも、国際政治のいびつな構造のひとつが整理されてまっすぐになった、っていう気もするし、基本的には今回のエジプトの事件は喜ばしいことだと思うんですよね。

3.
twitterで流れていて知ったんですけど、こんだけの出来事なのに、日本のテレビ局はエジプト情勢を中継したところがなかったんですって? もう日本のテレビに期待もしない、と思っていたけど、それにしてもひどいなと。ホントにどこも中継してなかったの?

日本は鎖国してるわけじゃなくて、むしろグローバル経済に一番どっぷり浸かって、その中に生きている国ですよ。たしかにエジプトは遠いかもしれないけど、自国の生存環境である国際社会、グローバル経済の重要な変化が今起きているというのに、それに関心を余り示さなかったって・・・。

北海道の記者さんがtwitterでつぶやいてたんんですけど、「こっちは日本に住んでるんだ。エジプトのことばっかり伝えるな。」という苦情が入ったそう。

大丈夫か、日本。
海外に住んでると、なおのこと日本の内向き加減、危機感のなさ、戦略の欠如が心配になるんですけど。

February 06, 2011

ヨーロッパの裏庭、アフリカの話。

南部アフリカ地域では、御年92歳のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の検査入院が長引いたことなどをとらえて、健康状態を心配する声が広がっているところです。

言わずと知れた南アフリカ黒人解放の最大の功労者、27年の収監を耐えて南アフリカ共和国で黒人初の大統領になり、アパルトヘイト政策を終わらせた人ですが、不謹慎だとは思うんですけど、そういう方がまだ存命であることにある種の驚きを感じませんか? 制度的な人種差別が人道に反するなんて当たり前だと思っているし、そんなものとうの昔に廃止されていていいような気がしますけど、南アフリカで全人種参加の総選挙が行われてマンデラ氏が大統領の就任したのは1994年のこと。歴史というにはまだ日が浅過ぎる、最近の出来事なんですよね。

英領南ローデシアの首相、イアン・スミスが、白人による統治を掲げて英国から一方的に独立しローデシア共和国を建てたのが1965年。そのローデシア共和国が解消され、黒人政権のジンバブエ共和国が成立したのは1980年。私が小学生の頃の話。そして初代ジンバブエ首相のロバート・ムガベは御年87歳(2011年2月)にして現在もジンバブエの大統領として君臨。まだ歴史でもなんでもなくて、現在進行形の政治です。

南部アフリカ地域で一番新しいナミビア共和国に至っては独立は1990年。第一次世界大戦後にドイツ領から南アフリカ連邦(当時)領に変わっても、つい最近までずっと人種隔離政策が続いていたんですよね。

*   *   *

ポルトガル人が西アフリカ(現在のガーナ)に欧州勢として始めて砦を築いたのが1482年。同じくポルトガル人のバルトロメオ・ディアスが喜望峰に到達したのが1488年。これもポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回るインド航路を開拓したのが1498年〜99年頃。このあたりは世界史の教科書に出てくる話で、これ以降、欧州列強は南部アフリカに進出しインド貿易の航路として活用したほか、アフリカから金、象牙、奴隷、コーヒーなどを本国に輸入し、植民地としての開拓を進めます。オランダ東インド会社がケープ植民地(現・南アフリカ共和国のケープタウン)を成立させたのは17世紀のことです。

やがて欧州では産業革命が起きる(18世紀〜19世紀)。政治も領主様や国王陛下が直接統治する封建国家から、議会制民主主義、立憲君主制といった、今風の近代国家に脱皮して行きました。ポルトガルやスペインに変わって、いち早く産業革命を成し遂げたイギリス、革命を経て近代国家として歩み始めていたフランスなどがアフリカの植民地経営に精を出し、19世紀中には南アフリカでも鉄道が走るようになっていました。

・・・と、こうして見ると、ヨーロッパのアフリカ進出は世界史の授業のような昔話に聞こえますけど、ヨーロッパ人のアフリカ入植はずっと時代が下って、ごく最近まで続いていました。第二次世界大戦後に農場経営のための土地を求めて入植した人たちもいます。比較的新しく入植した人たちは別に黒人の土地を奪って開拓したわけではなく、通常の土地取引で農地を購入して入植しているんですけどね。スイスでは農家の次男、三男が南部アフリカに行って農地を開拓し、一旗揚げたらスイス本国で「お嫁さん募集」の広告を出すというのがよく見られた、という時期もあったそうです。あるいはナチス・ドイツの圧政を逃れて南部アフリカに新天地を求めたユダヤ人も少なくないし、貿易や欧州人のコミュニティのための様々なビジネスの機会もあって、最近になってアフリカまで商売を広げた人々も多い。

南部アフリカでは、今でもオランダ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人などが経営する農場が数多くあります。(フランスは西アフリカ、北アフリカに植民地が多く、南部には少ない。)あるいは流通小売の業界にギリシャ系、ポルトガル系の人が多かったりする。もちろん、ヨーロッパ人ではないけど歴史的経緯からインド人も多いですけどね。そういえば、インド独立の父ガンジーは、、若い頃南アフリカで弁護士稼業をやっていて、人種差別に対する悩みを深めたといいます。

(ちなみに、日本が南アフリカのケープに最初に総領事館を開いたのは1910年、去年100周年でしたよ。まめ知識。)

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15世紀以来、連綿と続いたヨーロッパとアフリカの歴史的関係の最先端に、マンデラ元大統領がいて、ムガベ大統領がいる。「インド航路」だの「植民地開拓」だのって、歴史の教科書の上のお話として聞いてしまいがちですけど、今もアフリカの地には、その歴史の上に出来上がった社会があるんですよね。植民地時代がどっかでプツッと終わって現代のアフリカになったわけではなくて、前の出来事に新しい出来事を塗り重ねて、塗り重ねて今がある。

*   *   *

それで、15世紀以降のアフリカとヨーロッパの歴史をダラダラ書いて、もうひとつ何が言いたかったかと言いますと、日本から見るアフリカと、ヨーロッパから見るアフリカは決定的に違う、ということなんです。当たり前ですけど。

ヨーロッパにとってのアフリカの出来事は、裏庭での出来事。まして、今でもヨーロッパ人がたくさんアフリカに住んでいて、その人たちがヨーロッパの本国の国籍、市民権を持っている場合も少なくない。ヨーロッパの人にとって、アフリカの出来事が他人事じゃないでんすよね。アフリカに対して当事者感覚を持っている。

日本から見ると、「人道上支援しなくては」「豊かな資源を開発しよう」「グローバル化社会の一員として尊重せねば」「世界の安定・経済成長に重要だ」・・・といったお題目でアフリカをとらえがちなんですけど、ヨーロッパにとっては、たとえもう植民地ではなくなったとしても、どこかまだ身内の出来事という感覚があるように見える。

不謹慎なたとえかもしれないですけど、言ってみれば、ヨーロッパ諸国にとってアフリカ諸国は、日本にとっては国家として独立してしまった北海道のような感じなのではないかと思いますよ。アイヌ・ウタリ共和国(1965年独立)みたいな感じで。それで、東京とアイヌ・ウタリ共和国の関係が順調であればそれはそれでいいんでしょうが、もしもアイヌ・ウタリ共和国が汚職まみれの独裁国家になっちゃったり、本州人が拓いた農地を国有化する政策を推し進めたり、中国から武器を密輸したりしていたら・・・。ヨーロッパのアフリカに対する危機感は、それに近いような気がしますよ。

January 28, 2011

アラブ世界での開発独裁の終わり。

チュニジアのジャスミン革命がアルジェリア、イエメン、エジプトと広がりを見せていることについては、BBCとネットのニュースをざっと見て回っただけで詳しい状況は分からないし、たぶんその道に詳しい人がいろいろと解説してくれているんだと思うんですけど、私も気付いたことをちょっと書いておこうかと。

*   *   *

気付いたんですけどね、これらの国での市民のデモでの主張は「経済改革」「汚職撲滅」「自由・権利の拡大」とかで、宗教がらみの主張が含まれていないんですよ。イスラムへの回帰とか、世俗国家の追求、なんていう主張をしていないみたいなんです。より民主的な社会、よりフェアな社会を求めるデモなんですよね。

貧しく、国内に様々な対立勢力を抱え、国民の教育水準もあまり高くない国では、いわゆる開発独裁の強権的な政権が必要悪のように存在することが多いです。民主的選挙だの言論の自由だのというような贅沢に付き合っていたら収拾がつかないので、とりあえず、社会の少々の軋みは力で黙らせて、社会開発事業を推進する。東南アジアはそうやって急速に成長してきた国ばかりです。そして、アラブ世界も国王や国王のような大統領がいる国ばかりなんですよね。

しかし、社会が一定の開発段階まで至って、国民の教育水準、民度が高くなり、衣食も足りてくると、より民主的な体制を求めるようになる。特権を享受し一般市民とは比較にならない富を蓄えた支配階層を排除し、正統な自分たちの代表に国を率いてほしいと考えるようになる。そのとき開発独裁を敷いてきたアジアの為政者達は、ある者は市民革命に破れ、ある者はクーデターに倒れ、またある者は後継者に禅譲して引退し、あるいは自ら民主化を進めて次の時代を開いてその治世を終えた。マルコス、マハティール、スカルノ、蒋経国、リー・クアンユー、そんな名前が思い出されます。

それで今回のジャスミン革命に続くアラブ世界の動乱なんですけど、いずれも強権的な長期政権が続いていました。為政者たちがどのくらい真剣に社会開発に取り組んだのかはよく分からないですけど、それでもその統治下で曲がりなりにも経済成長は続いており、市民の多くは食うや食わずの生活からは抜け出していた。宗教的なスローガンが見当たらず、フェアな社会を求める主張をするデモを見ていると、世俗アラブ世界も民主主義という贅沢を求める水準に達していたのではないか、そんな気がします。東南アジアが2、30年前に経験した開発独裁時代の終わりを、今頃迎えているのではないかと。

まだ結論を出すのは尚早ですけど、そういう見方もできるように思っています。

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追記:

開発独裁の終わり、という解釈ではアジアと似ている面があるけれど、大きく異なることは、アラブ世界は域内にイスラエル・パレスチナ問題を抱えていること。これは大きい。

ヨルダンとエジプトはイスラエルとの和平協定を締結しており、アラブでありながら親米の姿勢を維持する政権が続いてきたんですけど、今回の市民蜂起ではこの体制が崩れる可能性が出てきています。政権の素性はともかく、ヨルダン、エジプトが中東の緩衝地帯としての機能を持ってきたことは確かで、だからこそアメリカもこの二カ国を援助でジャブジャブにしてでも支えてきたわけです。(ちょっと古い情報になりますが、直接・間接を合わせると、ヨルダンの国家予算の4分の1はアメリカが支えていますし、ヨルダンの人々の主食である小麦の半分は日本の支援に頼っています。)

市民の民度と生活水準が充実してきて、独裁的な政権を排除すべきと目覚めたというのは民主主義の観点からは結構ですけど、その結果がイスラエルとの対立の激化を招き、地域のさらなる不安定化という事態を招いてしまう可能性が高いことは、アジアの前例とは目立って異なる。もはや止めることはできないところまで来てしまった感の中東の市民蜂起、この後の展開は、中東の政治風景を一変させ、アメリカに世界戦略の見直し迫り、世界の政治経済、パワーバランスを一変させる可能性を帯びてきましたねぇ。

January 23, 2011

UNICEF職員はタダ働きじゃ務まりません。

UNICEFの国際スタッフ(日本ユニセフ協会の職員じゃなくて、途上国のUNICEF現地事務所で働く人)の日本人の友人が話していたことなんですけど、日本帰国中に「国連機関に勤めています。ユニセフです。」なんていう話をしていると、「ユニセフの職員が給料をもらっている!」と不満げな反応をする人が時々いるそうです。

そりゃ、給料もらいますよ。援助のプロですから、彼らは。片手間に道楽でやってるわけじゃなくて、高い専門性を持ったプロの仕事としてやってるわけですから。生活環境の厳しいところでの仕事が多いし、危険もあるし、それなりの待遇が当然必要です。

「ユニセフのスタッフが給料をもらっている」と訝る人々にとって、ユニセフとは慈善団体、ライオンズクラブとかロータリークラブとかと同じようなものと思われているんでしょうね。途上国の貧しい人々のところに手弁当で出かけて行って援助を差し伸べる、純真な心の人たちの集団、くらいのイメージなんでしょうか。

*   *   *

開発協力、国際援助の分野で、日本に力のある大手のNGOがなかなか育たないのは、この「タダ働きであるべきだ」という信仰が影響している部分も大きいように思います。国際NGOに幾ばくかの寄付をして、そのNGOがカンボジアに建てる学校の建設費になると思っていたら、そのNGOのスタッフの給料になっていた、といって怒る人がいる。

そしたら、誰がその事業を運営するんでしょう?
「お金持ちが、ボランティア精神を発揮してやればいい。若い人がインターンの一環でやればいい。」
たしかにそれで賄える部分はあるかもしれませんが、それじゃいつまでたってもアマチュア仕事だし、事業の拡大の可能性も、それどころか継続の可能性も小さい。結局、一時の自己満足に過ぎない事業や、とんちんかんな事業をやる小規模なNGOばかりになって、途上国の社会開発に自らコミットするような大手のNGOがなかなか育たない。小粒でもすばらしい仕事をしているNGOが数多くあるのも知っていますが、往々にして専従スタッフは極めて少数で、しかも薄給です。

日本人に多い「サービスはタダ」という感覚の延長線上なのかもしれません。「ものづくり」信仰が強いせいか、モノではない目に見えないサービスにお金を払う感覚が希薄ですよね。途上国に建てる学校の資材にお金を払うのはいいけれど、その建設のコーディネート作業にはお金を払いたくない。そんな空気がある。

小さなNGOや、普通に暮らす個々人の善意を軽んじるつもりはないですが、しかし、開発協力、途上国支援は「道楽」で済むものではなく、「仕事」として取り組まねばならない水準のものです。「善意の種をひとつ撒けば、大きく花が咲いて世界が平和に」というほど世界は甘くない。

世界が多くの人々にとってもっと住みやすくなるにはどうしたらいいか、という課題に取り組むことを仕事としているプロフェッショナルが世界には大勢いて、彼らの仕事がまわりまわって途上国に住んでいない人々の暮らしやすさにもつながってくるんですけど、「ユニセフの人が給料をもらっているなんて!」と文句を言う人たちにはそこまで想像力が及ばないんでしょうね。

まあ、街で外国人を見かける時か、買い物のときに「Made in ナントカ」って書いてるのを見るときくらいしか世界を意識しなくても楽しく生きて行ける日本にいれば、それも致し方ないか。

January 15, 2011

国際協力の仕事のキャリアパス。

前回のエントリーで、国際協力の仕事は新卒で就職するようなところにはあまり落ちてないもんだよ、なんらかの専門性を持ったプロが求められているんだよ、とは書いたものの、それって今大学生くらいの人が読んだら、かなりハードルが高く聞こえるっていうか、「自分じゃダメなんだ・・・。」と思わせる結果になってるかもしれない、と心配になりました。やる気を挫いしてしまっては申し訳ないっていうか、それは本意ではないので、それじゃ今、国際協力の現場で働いている人たちはどんなキャリアパスだったんだろうと、いろいろ思い出してみた。

当然、「新卒で就職して国際協力の仕事をやっています。」というパターンは、運良く国際協力機構(JICA)から内定がもらえた人の場合くらいしか聞いたことがなくて、大抵の人は「国際協力の仕事」を指向しつつ、いくつもの場所を渡り歩いて来ているように見えます。あくまで個人的な観察に過ぎないんですけど、そう見える。

大卒の22歳か23歳くらいからの10年くらいを、国内/海外のNGO、青年海外協力隊、協力隊調整員、国内/海外の大学院、民間企業、公務員(学校教師など)、医療関係職、自営業、JPO派遣制度、日本大使館の専門調査員/派遣員、JICAのジュニア専門員/長期研修員/特別嘱託、UNV・・・、というようなところを、だいたい1年〜2年程度づつで渡り歩いて、30歳もかなり過ぎてからそれなりに国際協力の業界で食えるようになった、という人が多いんじゃないでしょうかね。

で、大卒からの10年くらいの間にそれなりの経験を積んで、人に説明できるくらいの自分の得意分野ができれば、その後の仕事はだんだん安定してくるようです。

たとえば、国連機関のスタッフは終身雇用ということはほとんど無理で、多くは1年、2年の契約で仕事をしてらっしゃるようなんですが、ちゃんとキャリアを積んできた人であれば、契約が切れてもまた次の契約、次のポストの話が舞い込んで来るようになるみたいです。

あるいは、国際協力の仕事を専門とする人々が集まる開発コンサルタント会社で新卒採用をしているところは少ないみたいなんですけど、10年くらい経験を積んで国際協力の仕事の即戦力とみなされるよにうになれば、そういう会社に就職するという道も出てくる。国際協力機構本体は新卒採用中心ですけど、その周辺の関連企業は国際協力の経験者採用しかやってないようなところも多いようで、そういう会社に入る、というのもあるかもしれません。

10年かそれくらい、経験を積みつつ食いつなぐことができれば、それなりに方向性が見えてくる。そういう感じじゃないかと観察してます。

もちろん、ここに挙げた以外のポストもあるし、国際協力の業界にいる人の経歴は本当にさまざまですよ。「新卒でこの会社に就職して、今に至ります。」というような単線のキャリアの人が少ない業界です。

不況だ、就職氷河期だと喧しい昨今、「経験を積みながら食いつなぐ」というのはそれなりにタフで、綱渡りな局面もあるだろうと想像しますけど、就職、というか「就社」して会社員になるというのと一味違う働き方の世界としても、「国際協力の仕事」は面白いんじゃないでしょうかね。


(以上は、私の個人的見解です。この記事を読んで実践したけどうまく行かなくて、実家に引きこもり親の年金のおこぼれで生活する羽目になりました、と苦情を持ち込まれても知りませんよ。この記事が参考になれば、とは思ってますけど、自分の道は、結局自分で拓くしかないんですよね。)

January 06, 2011

国際協力の仕事を目指す人へ。

国際協力の仕事をしたい、という若い人の話を聞くこともそれなりにあったりしまして、そういう人たちに説教を垂れる、というようなことはやりたくはないんですけど、でも、毎回同じような話をしてばかりいるので、思うところをちょっと書き残しておこうと思います。

まずね、大学なり大学院なりを卒業してすぐ「国際協力の仕事」を得るのは、そう簡単じゃないですよ。日本全国の大学に、国際関係学科、開発経済学科、国際教養学科とかいう学科はたくさんあって、さらには政治学や経済学の方面から途上国開発の業界に興味を持ってくる人もいる。毎年、「国際協力の仕事ができたらなぁ」という卒業生は、きっと数千人はいるんです。多く見積もれば万の単位に乗るかもしれない。

だけど、みなさんが真っ先に思いつく、例えば独立行政法人国際協力機構(JICA)の新卒採用数は毎年30人とか40人とか。その他に将来にわたってちゃんと生計を立てられる「国際協力の仕事」は、新卒の人々に対してはほとんど門戸は開かれていないですよ。あとは、薄給で若い間しか勤まらないNGOや、原則2年の青年海外協力隊とか。就職希望者数に対して、圧倒的に枠が小さいです。

じゃあ、その他の「国際協力の仕事」ってどこにあるのか。

それは、開発コンサルタントであり、国連など国際機関の職員であり、国際NGOの職員であり、各種の国際協力専門家の稼業です。そこで求められているのは専門性を持ったプロなのです。「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という清い心だけでは勤まらない仕事ばかりなのです。逆に言えば、プロであれば「国際協力の仕事」を得るチャンスは広がる。

いい例なのは、青年海外協力隊の採用状況ですよ。協力隊はいろんな職種が募集されているんですけど、「理数科教師」「農業」「情報技術」といったような職種は途上国側から要請が多いのに応募数が少なくて、もしあなたが応募すればきっとかなりの確率で採用されますよ。他方、「村落開発普及」「青少年活動」とか、一見専門性がなくても気合いや日本人としての常識で勤まりそうに見える職種は大変な競争倍率になっています。で、実際に採用されている人には、イギリスに留学して開発学を勉強してきましたとか、過剰に優れた経歴の人がいたりするんです。

あるいは、特定の専門技術を持っていれば、英語がそこまで得意じゃなくても「途上国の人々を救う仕事をしてほしい」というオファーは向こうからやってくる。医者や看護士などは最たる例ですが、そこまででなくても、例えば送電網設計、上水道漏水対策、システムエンジニア、灌漑農業、HIV/AIDS対策、廃棄物処理、道路設計、教師・・・、なんらかの「手に職」があれば、「国際協力の仕事」がめぐってくることは多いです。手を挙げれば、ぜひ行ってくれ、となることも多い。だから、「国際協力の仕事」を目指すにしても、まずなんらかの専門性を身につけることの方が先だと思うんです。急がば回れ、の格言どおりですよ。「国際協力の仕事」の内定もらうには、運もよくなくちゃ受からないような国際協力機構や、若者の善意を買い叩いて善意を押し売りしているNGOを目指すのもいいけれど、もっと広い視野で仕事探しをした方がいいと思うんですよね。

そして、実は、なんだかんだ言っても途上国の人々の困窮を救うのは、経済、もっといえばビジネスであるというのが現実だったりします。「国際協力」を看板に掲げている人たちの活動よりも、そこに工場が進出してきたり、新しい商売が生まれたりした方が、現地の人々の生活に余程プラスだったりするんです。国際協力だといって援助をするよりも、金儲けを覚えてもらうことの方が、経済開発には大事だったりする。

だから、「国際協力の仕事」を目指す人には、純粋に「国際協力」を掲げているところばかりを探すのではなく、民間企業の活動だって途上国の人々の生活向上にものすごく貢献している、ということを忘れないでほしいなと思うんです。そして、なんらかの専門性を持つことを目指すことをお勧めしたい。肩肘張って「国際協力」と言わなくても、あなたの日々の仕事が途上国の困窮を緩和することに役立っていることも多いだろうと思ったりするのです。

*   *   *

繰り返しですが、国際協力の現場で求めれらているのは、なにかの「プロ」です。

国際協力機構や国連機関は「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という気持ちが純粋であれば純粋であるほど、心が折れそうになる官僚的な職場だとも聞きますし、「国際協力の仕事」がしたいとは結局どういう仕事がしたいのか、冷静に落ち着いて考えてみられるとよいと思いますよ。要は、困窮している国の人々の暮らしに役立つ仕事、であり、それは自分の専門性をもって貢献する、ということで実現されるのではないでしょうかね。

少なくとも、「国際協力の仕事」は、大学の3年から就活をすれば内定をもらえる、というところにはあまり落ちてないと思いますよ。